音楽はサムシンググレートと呼応する

私は宗教者ではありません。しかしながら物質・時間の存在に係る宇宙の創造や、生命・意識の始まりをも司ったDNAの構造設計などに係わった何か(サムシンググレート)の存在は信じております。そしてこれらの「何か」に対しての科学的論理的解明は無理であろうとも思っております。

音楽の道を歩んでいると、どうしてもこの「何か」の存在を意識しないと解決のつかないことが間々あります。

物理学や生物学などの最先端の科学者が宗教に対して 敬虔 ( けいけん ) な気持ちになるということも納得せざるをえません。

しかし、科学ではなく音楽を語るには「何か」とか「サムシンググレート」ではしっくりしません。そこで多くの宗教者が使っている「天」や「精霊」という言葉を使って「音楽とは」を考えてみました。

花々の美しさは人のためのものではありません。自然界にあふれている小鳥の声や、もがり笛などの、えもいわれぬ音楽も決して人のためのものではありません。したがって、これらを人為的に模倣した作曲や即興演奏などは人のためのものではないのです。簡単にいいきってしまえば音楽は向こう側からやってくるもの、超自然的なものが人の体を借りて現れてくるものといえばよいでしょうか。「音楽は天からの贈り物、そして天への捧げもの」といえばわかりやすいかもしれません。

( いわ ) ( ふえ ) (青森県の三内丸山遺跡からはヒスイの石笛が出土している)や 口琴 ( こうきん ) などを使った原初の音楽は人に聞かせるものではなく、天や精霊との交信を目的としたものでしょう。楽器の構造や音量を考えてみるとそうとしか思えません。実際にこれらの楽器を演奏してみるとわかりますが、とても一朝一夕にはいきません。おそらく原初から専門家がいたことでしょう。

したがって厳密にいえば、現代音楽家といえども、この方たちの意識や魂を受け継ぐことが音楽の最も大切な要素であると思えるのです。もちろん娯楽や興業であることに異論があるわけではないのですが、根幹の部分を考えると、そのようになってしまいます。

厳しくいうのであれば、音楽演奏の本来の意義は趣味や娯楽であってはいけません。職業としても恐れ多いでしょう。飢えをしのぐため、どうしようもないときもありますが、それが目的であってはいけません。

そのためには日々の練習を怠らず、精神の向上を図り、なによりも謙虚な気持ちで坦々と演奏するよう、心がけなければなりません。そうすることによって天や精霊と交信する状態というものが、どういうものか少しずつ、わかってくるでしょう。もし、うぬぼれて早弾きや曲芸的なことを見せびらかしたり、聴衆から喝采を浴びるために演奏したりするなら、それは大きな誤解です。それではただの演芸に過ぎません。大衆に迎合して受けることだけを考えるならば、洗面器で頭でも叩いていたほうがましでしょう。真実の音楽は、そういうものとは、かけ離れたところにあるものです。

演奏しているとき、何をしたらいいか、どうしようか、などと考える必要はありません。何の意識もせずに、ただ湧き上がってくる音楽に身を任せて待っていればいいのです。

演奏中の精神状態はどのように表現したら信じてもらえるでしょうか。

魂が体から抜け出して、だんだん、小さな点になり、ものすごいスピードで空間を突っ切っているのだけれど、それがゆっくりと浮遊しているようにも感じられる状態なのです。

具体的には自然に涙が流れ、胸が苦しくなってきて、それが心地よい痛みに変化をしていくのです。さらにいえば、何か、大きく、どっしりとした安心できるもの存在を感じ、それに近づきたくて手を伸ばしながら進むのですが、伸ばしても伸ばしても手が届かず、益々、胸が痛くなってくるのです。

それが続くと今度は悲しくなってきます。悲しみは見る見るうちに広がってきますが、それでいっぱいになることはありません。残っている部分には何か美しいものが現われ、今度はそれが拡大してきて幸福感で満ち溢れてきます。

すなわち苦しみ、痛み、悲しみが昇華して美となり、幸福感で満ち溢れ、天空や精霊との一体感が得られたときこそ、本当の音楽が生まれる瞬間なのです。

しかしながら諸々の条件が調和して美しい音宇宙が成立することはめったにありません。

客観的に分析するならば、演奏家の発する1/f(エフブンノイチ)ゆらぎとアルファー波が聴衆にくまなく浸透し、全員に行きわたったとき、音楽本来の目的が達せられたといえましょう。そして、それはすぐれた気功師がまわり中に気を発しながら治療するような、あるいは催眠術の大家だけが行なえる全体催眠のようなものでもあるはずです。

 おことわりをしますが私は麻薬をやったことはありません。もちろん気功師でも催眠術師でもありません。しかし、何年かに1回は上記のようなことを経験しています。おそらく脳内麻薬であるドーパミンやベータエンドルフィンが脳内に充満してのことでしょう。一度でもこの経験をすると、麻薬を求めたくなる気持ちが良くわかります。これほど至福のときはありませんもの!

 しかし、それをやったら、餌を欲しがって芸をする犬と同じになってしまいます。脱け殻のような人が芸をやってもすぐにバレてしまいます。

音楽は一筋縄で括れるものではありません。ドーンコーラスやオーロラコーラスなどは「サムシンググレート」そのものと言えるでしょう。音楽とは、何と不思議で計り知れないものなのでしょうか。

聞いてごらん

星のつぶやき月の詩も

太陽のアリア宇宙のコーラス          安正

山河風狂

たらちねの

人は三度生まれ、三度死ぬ

魔界、そして非情な世界

私だけの秋の七草

「欠点が魅力なんですよ」

初級中国語の考察

宇宙と人間の法則

なぞとき地名人名考

音楽はサムシンググレート〜

ゾウさんとアリさん

inserted by FC2 system