11 ( ふさ ) 布佐 ( ふさ ) 福生 ( ふっさ )  (なんだろう?)

「こしひかり」は、お米の銘柄ですが「こし」はイネが伝わってきた時代の国の名前です。「 ( こし ) の国」は 越前 ( えちぜん ) 越中 ( えっちゅう ) 越後 ( えちご ) のことで「こしひかり」は越前(福井)の高橋浩之さんが1956年に作出し、北陸から関東以西で栽培されるようになりました。ほかにも「 ( とよ ) の国」( 豊前 ( ぶぜん ) 豊後 ( ぶんご ) )、阿蘇山のある「火の国」( 肥前 ( ひぜん ) 肥後 ( ひご ) )、「 ( きび ) の国」( 吉備 ( きび ) の国・ 備前 ( びぜん ) 備中 ( びっちゅう ) 備後 ( びんご ) ・岡山県等)、山林王国である「木の国」(紀の国・和歌山県)、同じく木の国の意味で「 ( ) の国」などがあります。

毛の国は「 ( かみ ) 毛野 ( けぬ ) 」( 上野 ( こうずけ ) 上毛 ( じょうもう ) ・群馬県)と「 ( しも ) 毛野 ( けぬ ) 」( 下野 ( しもつけ ) 下毛 ( かもう ) ・栃木県)の二つに別れます。毛と木が同義であることは万葉時代まで続きました。

松の ( ) の(麻都能乃)並みたる見れば 家人 ( いはびと )

我を見送ると立たりしもころ

下毛野国の防人 万葉集巻204375

(道中、松の木の立ち並んでいるのを見ると、家の者たちが自分を見送ろうと立っていた、その姿そっくりだ)

木の意味で気という漢字が使われていますが万葉仮名の気は、すべてケと読みます。

この時代は卑弥呼の時代でもあって、魏志倭人伝(正しくは三国志魏志東夷伝倭人条)には倭国の周囲の国々が記されています。倭国の場所を比定するために、倭国九州説では「木の国」が、畿内説では「毛の国」が都合よく説明されていることを、通の方ならご存知でしょう。

さて、「 ( ふさ ) の国」(千葉県)の「総」とは何でしょうか。第7節では「 古語 ( こご ) ( しゅう ) ( ) によると麻のことらしい」と書きました。一般的にはこれで通っていますが、なかには「 ( かず ) ( ) 台地の山なみの地形が総の意味である」と書いてある本もあります。「古語拾遺」は ( いん ) ( ) 氏が一族の為に作った歴史書で内容は殆ど古事記、日本書紀と変りません。目を通してみても、総と麻の関係は不明でした。

ところで、我孫子市の利根川沿いに「 布佐 ( ふさ ) 」という地名があります。地元の人たちは柳田国男が幼少の頃に住んでいたことと、「総の国」の発祥の地であることが自慢のようです。それはそれでよろしいのですが、問題は万葉仮名である「布佐」の中味ですね。

アイヌの習慣に「フサ」というものがあります。移動中に危険な所へ来るとイケマという霊力の強い草の根を噛み、フッと吹いて邪気を払うことです。私も山登りの途中で似たようなことを、よくしました。父親がやっていたのですが、木の葉などを口に含んで、小川を飛び越えるようなときにフッと吹き飛ばすと、なんとなく安心するんです。このことは、古代日本語にはHの発音がなかったのでKに転化し、「 胡沙 ( こさ ) 」という言葉になりました。

       胡沙吹かば曇りもぞするみちのくの

                 蝦夷には見せじ秋の夜の月     西行

東京都 福生 ( ふっさ ) 市の地名も同様の事柄から発生したのではないかと思うのですが、一般的にはやはり、麻の意味のように言われています。

また「総」とは「塞」、つまり「塞がった土地」という考えもあります。たしかに布佐は印旛沼や利根川で塞がれていますね。

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