「無為自然」は至難の
夜8時半過ぎは銀座のミュージシャンのコーヒータイム。
隣の席にドレス姿の若い女性とタキシードを着た中年の男性が座りました。
「先生、サックスのハル斎藤さんが『ピアノは
「少なくすればいいじゃない」
「相当、少なくしたつもりでも、『もっと少なく』って言うんですよ。私、困っちゃう」
どうやら、この2人は師弟関係で、女性の方はサックス奏者の斎藤
「どうしたらいいんでしょう?」
「 ……。 ……。あのね、野球はどこのチームが好き?」
(ええっ、急に野球のはなし?大丈夫かなぁ、この先生!)――これは私の心境。
「別に、
「そう、あのね、どこのチームでも、やけに走り回って、すごく派手な動きをして、拍手を貰う選手がいるだろう?ああいうのは本当は下手なんだよ。巧い選手は殆ど動かないから目立たないし、拍手も少ないけど、わかる人にはわかるんだなぁ。巧い選手ほど経験と勘でボールがどこに来るか読めるからね、最小限の動きしかしないんだ」
「なぁーるほど、巧いピアニストも最少の音で最大の効果を上げるわけね」
「そうだね。聴いてる人にもよるけど…。
「でも、銀座のお客さんは聴いていないようで、ちゃんと聞いているから、ハルさんは無意味な弾き過ぎを嫌うわけね」
「だろうね。たとえば、ほかの芸能でも、庶民相手の歌舞伎なんかは目ん玉ひんむいて六法を踏んで大騒ぎをするけど、そうでない能は
「なるほどぉ、わかったわ。…で、具体的にはどうすればいいのかしら?」
「まあねぇ、何も考えず、自然に弾いてればいいんだけど…」
「でもぉ、そうしたら、私、ガラガラと気持ち良く、かき回しちゃうわ」
「そうかぁ、
「無為自然?」
「あのね、無為自然って、ただ、ぼぉーとしてるんじゃないんだよ。ある一点だけは研ぎ澄まされている状態なんだ。野球の名選手だって最初から球筋が読めるわけじゃないんだぞ。シッテンバットウ、コケツマロビツ、ナキノナミダでカンナンシンクをして、やっと少しずつ見えてくるようになるんだ。能面の微妙さだって、苦節何十年の役者だからこそ無意識で一点に集中できるんだよ」
「そう、努力に努力を重ねた上での無為自然なわけね!」
「その通り、
(ジャズと野球と歌舞伎と能が老子に結びつくとは思わなかったなぁ。それにしてもハルさん、もう少し丁寧に説明してやればいいものを…)