懐古趣味は良いところしか話題にしたがらない

このところ、テレビや雑誌などで昭和30年代を懐古することが盛んのようです。団塊の世代にとって、 ( がん ) ( ) ( ) い幼少のころが思い出されるから、なのでしょう。

確かに、駄菓子屋・紙芝居・線香花火・メンコ・べーゴマ・チャンバラ遊びなどは楽しいものでした。でも、そのほかのことも冷静に振り返ってみたいものです。

あの頃は、野草を摘み、茸を採り、柿を落とし、栗を拾い、鰻や ( ) ( じょう ) を捕らえることは遊びではなく労働でした。

村々ではどこの家でも ( にわとり ) を飼い、その卵や肉は貴重な蛋白源であると共に、大変なご馳走でもありました。父親が鶏を ( つぶ ) し、子供たちが手伝って羽毛をむしりとることは、饗宴前の儀式のようなもの、だったような気がします。

飲料水は山の水を ( かけい ) で引いたり、浅井戸を掘って賄っていました。それなのに排泄物はその近くの畑に肥料として撒いていたのです。そして子供たちは平気で川に飛びこみ、泳いでいました。大水が出たときには、匂うものがぷかぷかと浮いていることもありました。

考えてみると、縄文時代や弥生時代の生活とあまり変わっていなかったのではないでしょうか。団塊の世代はのっぴきならず、このような生活をした最後の世代に当たりましょう。

過食症・拒食症・花粉症・エイズなどは、まだありません。糖尿病や癌患者も少なく、自殺者も今のように多くはありません。だからといって健康で文化的であったわけではありません。

子供たちは ( えき ) ( ) や肺炎などで、他愛もなく死にました。親たちも脳卒中や心臓 麻痺 ( まひ ) などで簡単に、あとを追いました。糖尿や癌の年齢に達するまで生き延びられなかったのです。自殺などしなくても、うまいぐあいに自然に死ねたわけです。

疫痢患者の出た家は村八分になり、医者も寄り付きたがりません。亡くなるのを待って、消毒をすることが保健所職員の主な仕事でした。

亡くなってしまえば、まだ良いほうで、結核や癩の場合は患者も家族も悲惨の極みでした。人権など無いに等しい利己社会だったのですから。

貧困だけが全ての原因ではなかったような気がします。豊かな現代でも決してなくならないイジメ、当時のそれは徹底的に陰湿でした。

懐古趣味は良いところしか話題にしたがりません。

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