13 流石さん

流石 ( さすが ) さんは長野県菅平スキー場、「ホテルマッキンレー」のオーナーです。元は東京の方ですが、お祖父さんの代までは富士五湖の 1つ、河口湖の ( ほとり ) に住んでいました。先祖代々のお墓が景色の良い所にあるそうです。その歴史と環境から考えてみると「さすが」の意味は「 砂洲処 ( さすが ) 」なのではないでしょうか。それを四字熟語の「 漱石 ( そうせき ) 枕流 ( ちんりゅう ) 」から2文字を取って「 流石 ( さすが ) 」にしたのだと思います。「漱石枕流」は書き下し文で「石に ( くちすす ) ( なが ) れに ( まくら ) する」と読みますが、これでは意味が通りません。本来は「枕石漱流」で「石に枕し、流れに漱ぐ」なのです。間違って言ってしまった頑固者が間違いを認めずに、「いや、俺は石で漱ぐのは歯を磨くためで、流れに枕するのは耳を洗うためだ」と言って押し通すわけですね。この話しから夏目漱石や流石さんの名前が出て来たのでしょう。

 漱石は自分のことを頑固偏屈独断意固地偏見的人間と認めていたわけですね。

14  倉持 ( くらもち ) さん(実は 車持 ( くるまもち ) さん)

倉持さんはさいたま市の方ですが、初めてお会いしたのは私がインストラクターをしている長野県菅平スキー場でした。お嬢さんがまだ4歳のとき、初めてスキーをお教えしたのがご縁です。以来8年、今、小学6年生のお嬢さんはジュニアスキースクールの最上級班で今年も颯爽と滑っておりました。

さて、律令時代、それぞれの国府には「 車持 ( くるまもち ) ( ) 」という腰車(輿車)を扱う官職がありました。それが変化して生まれた人名が ( くるま ) さん、倉持さん、地名が群馬と思われます。車持神社のある群馬県の群馬は職名が人名に移り変わった場所なのでしょう。群馬は藤原宮から出土した木簡には「 車評 ( くるまおこほり ) (評は大宝律令で郡になった)、『和名類聚抄』には「 ( ) ( ) ( ) と表記されています。ということは東京や福岡の久留米も、倉持さんの ( ふる ) ( さと ) かもしれませんね。

国府は全国に点在しておりましたから、倉持さんも全国にいらっしゃるのですが、特に茨城県に多いようです。

偶然ですが、倉持さんのご主人は電車の運転士で、趣味も「模型の電車を作って動かすこと」と言っておりました。

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