4《さいたま市》(ダサイじゃないの!)
6000年前(縄文時代早期後半)は今よりずっと暖かく、海水面が現在より3bも高くて東京湾は行田市まで入り込んでおりました。その岬の上に祭られていたのが、 埼魂 神社です。この由緒ある 埼魂 が広域地名の 埼玉 になりました。それを「さいたま」などと書いたら、 謂 れがわからなくなってしまったじゃないですか。浦和、大宮の方は行田市民に挨拶もなしで、大切な魂を奪ってしまって、ダサイじゃないの!
歴史的には行田市こそが、埼玉市を名のる資格があるのです。
5《ダサイ・谷保》(差別用語はなくならない)
ダサイは「田んぼの埼玉」を縮めた「タサイ」から出た言葉らしいのですが、その意味
の元祖「やぼ」にも地名が絡んでいます。南武線で立川から府中に向かって3つ目の谷保(東京都立川市谷保)には天満宮があります。江戸時代、この天神様が手元不如意になり、 目 白 で 出 開 帳 (ご神体を盛り場に持って行き、お賽銭を一気に集めること)をしました。そこへ 名立 たる狂歌師の太田蜀山人が通りかかり、「 神ならば出雲の国に行くべきに 目白で開帳やぼのてんじん」と 詠 んだのです。ちょうど、10月の神無月であったからです。つまり、「やぼてん」という言葉が日本中に広がってしまった原因には2つの 間 の悪さが絡んでいるんですね。1つは他の神様の留守を狙って稼ごうと、神無月に出開帳したこと、もう1つは蜀山人に見つかってしまったこと、というわけです。
これらのことから「人間は軽蔑を楽しむ動物で、それは止められず、むしろ、人間の 証 である」と言わざるを得ないのでしょうか。差別用語はいくら無くそうとしても、次々に出てきます。最近では「落ちこぼれ」とか「負け組み」というのがそうでしょうか。
意地悪の蜀山人と魯山人 安正