「自由」に付いて回るもの

私はミュージシャン、自由業である。弁護士・作家・俳優・芸人・音楽家・接待業などの独立自営の職業を税務区分上、自由業と言う。その報酬(給与ではない)に対しては一律10lもの源泉徴収所得税がかかり、戦前の戦争準備のための悪税と言われている。

ミュージシャンは原則として一回ごとの自由契約である。ご祝儀相場もある一方、宣伝活動と称して値切られる場合も多い。いずれにしても、一旦契約をしたからには買われた芸者よろしく、山の中であろうと海の上であろうと出演せねばならず、マナーの悪い客であっても身を粉にして尽すことを要求される。その上、消えてしまった音は取り戻せないせいか、未収金で終った仕事も私は勿論、友人達も枚挙に ( いとま ) がない。そして腕が落ち、仕事が無くなった時が定年だ。そうなれば何の保証も無いことも、また当然である。

にもかかわらず、続けて行く為には高い感性や能力が必要とされる。特に独自性と協調性の相反する能力を維持することが難しい。日常においても自己向上を図るように自己設定・自己決定をしなければならず、それを怠るとすぐに誰からも相手にされなくなってしまう。怠らなければ、いつどこで何を求められても期待される水準以上の成果を継続的に出すことができる。正にat your own risk(自己責任において)の生活だ。

趣味を仕事として、 ( ある ) いは仕事を趣味として自由自在に生きることは楽しく、素晴らしく、何よりも尊いとは思うが、その裏側には常に厳しい現実が付きまとう。そのことをサルトルは「人間は自由の刑に処せられている」とまで言っている。自由であるが為には自分の行動のすべてに責任を取らなければならないからだ。

自由人には自由人としての覚悟が必要なのである。実生活においては自由を他人に売り渡した方が格段に安楽であることは間違いない。ホームレスを見れば分かるであろう。すなわち、彼らは自由の刑に処せられているのである。勿論、私も……。

自由にはもう一つ、必ず付いて回るものがある。それは孤独というもの。誰も助けてくれない。同業者も、時には家族でさえも自由に対しては敵なのだ。自由の刑は孤独と責任で成り立っている。

自由に生きるには、常に大いなる孤独と自己責任が道連れである。にもかかわらず、限りなく自由を求めたい!

水は全く自然に少しでも低い方に流れようとする

花は誰に言われなくとも咲きたいときに咲く

鳥も飛びたいように飛び 生きたいように生きている

人間だけが我慢をしている

我慢して生きることは人の心を美しくしない

安正

山河風狂

たらちねの

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