しつこく音程について
世界文学の中で最も音程変化に考えを巡らせたのは唐詩(漢詩)かと思われます。唐詩全体を律詩と言う言い方もあります〔唐詩=近体詩(中国のスケールでは唐は近代か)〕。「 呂 律 が回らない」と言いますが呂とは今の長音階、律とは短音階のようなものだったようです。すなわち、律詩とは音韻を律した詩ということになりましょう。
「詩賦は文学でありますけれども、音節を基調とした 平 仄 は音楽に属します。それゆえ平仄図は楽譜そのものであります」と浜隆一郎氏は書いています。平仄図とは四声を高低二種類に分け、鉦(チン)と太鼓(ドン)の関係のようにして図示したものです。この平仄理論は西洋音楽理論にそっくりであります。AA’BA’とかAA’BB’とかいう例のやつです。まず、強起(強拍から始まる)と弱起(弱拍から始まる)がありますが、平起と仄起に相当します。押韻をするところはトニックに解決するところです。反行進行を良とし、平行進行を不良としているのも同じです。動機(モチーフ)に対する返答が 行 内 で行われることも行外に渡って行われることも同じです。この小形式をいくつも繰り返して大作を作ることも同様です。その際、起承転結を単的(端的ではない)にも巨視的にも図ることなどの類似点は感動的でさえあります。
なお、平仄と現代中国語の関係についてはNHKラジオテキストの96年6月号65頁に出ておりますので覗いてみて下さい。私は「にいはお」18号で「軽声の音程の位置から判断して第3声の音尾が昔は今より、もっと高く引っ張り上げられていたのではないか?」と推測しておりますが、同頁の4行目には「第3声は上声」と書かれております。
では最後に拙作を示させていただきます。
春 夢
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春 流 白 日 夢 春 流 白 日 夢
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花 貌 雪 徘 徊 花 貌 雪 徘 徊 す
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貴 品 微 香 醒 貴 品 微 香 に 醒 めれば
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辛 夷 正 盛 開 辛 夷 正 に 盛 開
春 川沿いを歩いていたら 眠くなってきた
ちょうど良い草原があったので ひとねむりしてしまった
夢の中に雪のように美しい人がいた
なんとも良い香りがするのだ
話しかけようとしたら目が覚めた
目が覚めても良い香りはあたりに漂っている
ふと見ると辛夷の花が満開であった
うたたねをにおいこぶしにゆすられて 安正
(川口市日中友好協会中国語教室機関紙「にいはお」20号より)