人品もデフレ=スパイラル
街並みは年月と共に徐々に変わるように思えるが、考えてみると段階的にどころか、劇的に変わっている。よく知られている東京の例を見てみよう。1923年の関東大震災、1945年の東京大空襲、1964年の東京オリンピック、そして1985年頃からのバブル景気による地上げなど、偶然であろうが、ほぼ20年周期で大改造を繰り返してきた。
これらによって、人々の生活は、便利で快適になったと言われている。だがその裏で、何か大切なものを失ったような気がしてならない。何なんだろう?
検証のために具体的に生滅した施設や建物を知っている範囲で挙げてみよう。
私の子供達が遊んだ、朝霞テック・向ヶ丘遊園・横浜ドリームランド、私が通った名画座、早稲田松竹・新宿昭和館・池袋人世座と文芸座・銀座並木座、同じく、小田急美術館・伊勢丹美術館・日本近代文学館・どこにでもあった古書店、私の演奏活動にも関係した銀座クラウン・同モンテカルロ・赤坂ミカド・同月世界などの大型キャバレー、タロー・
今、子供達は東京ディズニーランドかゲーム機器。映画館入場は最新作のみで、それ以外はDVDかビデオ。美術館は来日物のみ押すな押すなで他はテレビ放送が大盛況。巷では幼児でさえケータイばかりいじっていて週刊誌さえ読む人はいない。大衆文化の供給場所(特に地方の)であったキャバレーはカラオケボックスに取って変わられ、音楽市場は海外アーチストのコンサートのみ大入りで、あとはすべてイヤーホーンだ。考えてみると全てが両極端である。真ん中がスッポリと抜け落ちてしまった。
デフレ=スパイラルによる価格破壊の一方で、富裕層相手のデパートや高級品店が繁盛しているうちに、庶民にも二極文化が受け入れられるようになってきた。市場原理による勝ち組みと負け組みの生活文化が一人ひとりの中に同居するようになったのだ。一人の人 間が100円ショップとブランド=ショップに平気で出入りする。また、この2つが何の違和感もなく、隣接しているのが現代の街並みである。
変わったのは街並みだけであろうか。先日、新橋駅で線路に落ちた人を助けたが、若い人も含め大勢の人が全く無反応だった。自殺未遂者をカヌーで救った時も、事前に多くのモーターボートが見ぬふりをして通り過ぎて行ったことを後で聞いた。子供達のスキー教室を受け持っても、スキー以前に会話が成り立たない。電車の中には化粧をする女、音や匂いに構わず物を食べる人、出入り口で動かない人、優先席に坐る学生、ケータイで喋りまくる人などが多勢いる。街角はそこいら中が粗大ゴミ捨て場になっていて、家具は勿論、自動車までも捨ててある。デフレ=スパイラルによる価格破壊は物品だけでなく人品にも押し寄せた。
石原
ところがである。知的障害者ハイキングのボランティアに参加してみて驚いた。日本も捨てたものではない、こんな素晴らしい人たちがいるのだ、とつくづく思った。めだかストリームの人たちを鎌倉ハイキングに導いた埼玉県川口市の領家ハイキングクラブの方たちである。リーダーは電車の中でも決して座らない。家を出てから帰るまでのすべてがハイキングという考えなのであろう。マンツーマンで障害者に接する様は自由にさせていながらも常に怠りなく気を配り、余裕を持った過不足のないものであった。
そう、人品にも二極化が進んでいたのだ。真ん中がスッポリと抜け落ちてしまった。以前は近所のおじさん・おばさん・子供達が、ごく自然に人助けや拾い物届けをしていた。ボランティアなどという観念さえなかった。当たり前だったのである。
20年周期で変わるのは街並みだけではない、「人並み」も変わる。20年どころか十年
Bunkamura シブカジ娘に尋ぬれば 口はつんつん胸もツンツン 安正
月並みかな?