コラム 地名の詩
大岡
地名論 大岡信
水道管はうたえよ
お茶の水は流れて
サッポロ
バルバライソ
トンブクトゥーは
耳の中で
雨垂れのように延びつづけよ
奇体にも懐かしい名前をもった
すべての土地の精霊よ
時間の列柱となって おれを包んでくれ
おお 見知らぬ土地を限りなく
数えあげることは
どうして人をこのように
音楽の房でいっぱいにするのか
燃え上がるカーテンの上で
煙が風に
形をあたえるように
名前は土地に
波動をあたえる
土地の名前はたぶん
光でできている
外国なまりがベニスといえば
しらみの混じったベッドの下で
暗い水が
おお ヴェネーツィア
故郷を離れた赤毛の娘が
叫べば みよ
広場の石に光が溢れ
風は鳩を受胎する
おお
それみよ
東京は
いつも
曇り
詩集「わが夜のいきものたち」
確かに水道管は歌っています。ポタポタ、ショボショボ、ジャージャー、ゴンゴンと。それにしても鳥や虫ならともかく、水道管に「うたえよ」とは、なかなか言えるものではありません。
お茶の水、鵠沼、荻窪、奥入瀬は水のある地名ですね。サッポロ、バルパライソ(南米・チリの街)、トンブクトゥー(アフリカ・マリ共和国の街)は弾んだ音の地名で作者はこれらを音楽として捉え、「どうして人をこのように 音楽の房でいっぱいにするのか」と言っています。
ベニス(Venice)は英語で、ヴェネーツィア(Venezia)はイタリア語ですが同じ場所のことです。しかし、イメージとしては、ベニスは確かに湿っぽく、一方、若い娘が「おお ヴェネーツィア」とアクセントをつけて言えば「広場の石に光が溢れ」ているような明るさが感じられます。そのあとの「おお それみよ」はイタリア語のオー=ソレ=ミオ(O Sole Mio=私の太陽=私の恋人)に引っ掛けたのでしょう。
それにしても、この詩ほど地名に対して愛情を傾け、心から讃美し、詠嘆しているものを他には知りません。しかも、日本ばかりではなく、世界中の地名の、価値の高さを私たちに示し、「土地の名前はたぶん光でできている」とまで言い表しています。そして、終りに近付くと、瀬田と雪駄、唐橋とからかさなど、水に関わった言葉が韻を踏んで再び出てきます。
したがって、凡人ならば、この詩のタイトルを「水と光」と付けたかも知れません。しかし、作者は平凡なタイトルを避け、言葉の持つ意味は勿論、音質や音色を深く考察し、それらが地名にこそ、最も反映されていることをタイトルで示したかったのでしょう。