ガキ大将は優れた教育者

昭和30年代、拒食症などという病気は存在しなかった。むしろ、栄養失調こそ大問題で、それを解決するために学校給食が行われた。その後、時代は急展開し、あまりにも物資が巷に溢れすぎ、食物が目の前に山積みにされるようになってから拒食症という病名を聞くようになったような気がする。

子供の頃、ラジオが家になかった私は流行歌というものを知らなかった。そのかわり軍歌をよく口ずさんでいた。父親が歌っていたからである。始めて、覚えた流行歌は石原裕次郎の歌っていた「錆びたナイフ」であった。兄弟のようにして育った幼馴染の達夫君に口移しで教えてもらったのである。子供心に世の中にはこんなに洒落た歌があるのか、と思ったものだ。

ラジオが始めて我が家に入ったのは私が小学6年生のときである。「父親を亡くした寂しさを ( まぎ ) らわす為に」と言って担任の ( ) ( いえ ) 昌男先生がプレゼントしてくれたのだ。このことは美談として卒業式にPTA役員により報告もされた。

ラジオ放送を聴くことは無上の楽しみだった。「ボ、ボ、僕らは少年探偵団」の歌で始まる「少年探偵団」、黒柳徹子さんの「1丁目1番地」、吉永小百合さんも出演していたという「赤胴鈴之助」、後に映画にもなり、テレビ劇としても放送された「笛吹き童子」、母の好きな「とんち教室」そして、流行歌は伴奏入りで鑑賞することができた。正に ( ) ( しゃく ) するような鑑賞だったのである。

後年、私はジャズピアノ演奏家としての職業を選んだが、このころにスポンジが水を吸い込むように聞き覚えた歌はイントロからエンディングまで全て頭の中に入っており、譜面など見る必要が殆どない。

ひるがえって、今現在の我が家のメディア状況はどうであろう。電波障害のためにケーブルテレビが格安で引かれ、それに伴いインターネットもつなぎ放題、テレビチャンネルは50以上もあり、とても ( ) きれたものではないのに、まもなく、デジタル化によって100チャンネル以上にもなるらしい。

また、巷ではCDやDVD、ビデオテープなどが溢れ、子供達はゲーム機器の ( とりこ ) になっている。

この状態はかつて経験した何かに似ているのではないだろうか。目の前に食べ物を限りなく出し続けられると食欲を失ってしなうように、あまりにも大量の情報を与えられると知欲(知的欲求)が萎えてしまう。

食べ物を食べるには、まず、空腹が条件であるように、知的欲求を呼び起すには、まず、知的飢餓感が必要である。どうということはない、勉強する時間や情報を与えなければ良いのだ。「勉強などするな!遊べ、遊べ!」と言って外に連れ出し、コテンパテンになるまで疲れさせるのが最もよい方法であろう。昔はそういうリーダーがガキ大将としてどこにでもいたのだが、今はその役割を誰かがやらなければならない。そこのところをどうするかが教育問題の根本であろう。

ガキ大将は餓えを起させるだけではなく、餓えが満たされたときの満腹感を与えてやることに優れた者もいた。それも、どうということはない。つまらないことを誉めるのだ。さりげなく、何気なく。発表会とか研究会などという気取ったもので賞状をあげたりしては逆効果なのだ。

今、このように痒いところに手が届くような優れた教育者に巡り会うことは奇跡に近い。

我々の世代は幸福だった。

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