8《麻生》 (麻のつく地名、アッソー)
麻のつく地名は全国にあります。東京都港区 西 麻布 、長野県 北安曇 郡 美麻 村、京都市南区 上鳥羽 麻 ノ 本 、大阪府豊中市 石橋 麻田町 、などが有名でしょう。でも圧倒的に多いのが 麻生 という地名です。 茨城 県行方郡 麻生町 麻生 、群馬県 多野郡 万場町 麻生 、埼玉県熊谷市 大麻生 、千葉県 山 武 郡 山 武 町 麻生 新田 、神奈川県川崎市 麻生 区 上麻生 、富山県 高岡 市 麻生 谷 、福井県 敦賀 市 麻生口 など、きりがありません。
これらの場所では大麻が栽培されていたのでしょうか。大麻は中央アジアが原産の帰化植物で元々日本にはなかったのです。戦前まではイネと供に1世紀頃、弥生人が運んだものと考えられていました。ところが戦後、銚子市の余山貝塚で3000年から4000年前の大麻の種子が十数粒、福井県三方町の鳥浜遺跡では5000年から6000年前の種子と大麻の縄が出土しました。しかも、この大麻製品は紐、縄、網と編み方が工夫され、物入れ、魚網、敷物、そして着衣などに利用されていたと考えられています。
しかしながら、その為には栽培、収穫、加工、デザイン(いわゆる縄文なども含む)などの高度な技術が必要ですから、誰にでもできることではなかったでしょう。
平成2年、 大嘗祭 (天皇即位式)のとき、徳島県 麻植 郡の人たちが麻布でできた 麁服 を献上しています。(麁服は 藤 にかかる 枕詞 なので、麻以前は藤の繊維で作られていたらしい)4,5世紀頃から天皇家に尽くしてきた、この方たちは 忌部 氏の末裔といわれ、初めは 祭祀 をつかさどっていたのですが、 中臣 氏にその職を奪われてからは神衣を作るようになったようです。このことから考えてみると、中国で絹の生産技術が長い間極秘だったように、日本でも大麻が入ってきた当初はパテント製で、一般には開放しなかったのではないでしょうか。そのパテント = 麻のつく地名のような気がしてなりません。
ちなみに 麁服 献上の忌部氏は徳島県 麻植 郡 鴨島 町 麻植塚 の方々です。そのほかにも忌部氏は伊勢(三重県松坂市 御麻生 薗町 )、紀伊(和歌山県 那 賀 郡 那賀 町 麻生津中 )、筑紫(佐賀県佐賀郡 富士町 麻 那古 )出雲、それに 総 の国といわれた千葉県などで大麻の栽培をしていました。(「古語 拾遺 」によると 総 とは 麻 の古語らしい)
もう少し、麻生の地名を拾って見ましょう。 愛知県 豊川市 麻生 田町 、 岐阜県 揖斐郡 大野町 麻生 、 滋賀 県蒲生 郡蒲生町上 麻生 、 鳥取県岩 美郡 国府町 麻生 、 愛媛県 伊予 郡砥部町 麻生 、 高知県 中村市 麻生 、 熊本県 熊本 市清 水町 麻生田 、ずいぶんありますね。
ところで、アイヌ語ではas(立っている)so(岩壁、滝)で asso (注@)は切り立った断崖や滝と言う意味になります。この場合は、阿蘇、阿惣、安蘇、阿曽、朝来、などの地名になっているようですが、中には、この意味の麻生もあるかも分かりません。現地を訪ねて地形を調べ、成り立ちを考えてみるのも楽しいことでしょう。
今現在、大麻の栽培が古代とは違う意味でパテント制になっていることは多くの人がご存知ですね。栃木県などの農家が繊維用に栽培をしている種類には麻薬性はないのですが、それでも、麻薬取締法と、それとは別の大麻取締法で 厳 しく規制されています。そこまでしてもなお、先祖がえりした野性のものをどこからか見つけてきたり、輸入した種で栽培をする事件が後を絶ちません。日本では伝統的にそういう使われ方はなかったのですが。
注@ アイヌ語はSとShの区別がありませんから、ソーもショーも滝の意味になります。
サケもシャケも同じということですね。アクセントが付くと長母音になりがちです。