歴史を学ぶ

 歴史の歴は「次々に通りすぎる」の意味で、史は「文字などで記録されたもの」のことです。

現在のできごとの根源は過去にあるので、歴史を知らないと現代の政治や経済や文化は理解できません。例えば、日中日韓の溝の問題(逆に ( いち ) ( ) ( たい ) ( すい ) との言葉もある)・アラブとイスラエルの対立・イラク問題・ユーロ通貨やオリンピックのことなど、どれをとっても過去の事実が関係していることばかりです。

 しかし、過去を知って現在が理解できても、それだけでは、たりません。未来に生かすことこそが最も大切なことなのです。これらのことを昔の人は「 ( おん ) ( ) ( ) ( しん ) 」と言いました。

 もう1つ大切なことは私達が物事の成り立ちを考える基準の最も信頼できる手がかりが、歴史の中に潜んでいるということです。歴史を学ぶと、いろいろな言葉や人物とふれあうことができます。そのことによって主観と客観の整理ができ、バランスの取れた人格が形成されるのです。

 つまり、役に立つ現実問題の解決法と、あまり役には立たないかも知れないが、自己の人間性を高めてくれる哲学とか思想的なものの両方を身につけられるということです。

では、その方法はどうしたらよいでしょうか?まず、古典を読むことですね。数多い古典の中で歴史という概念を初めて作った書物として、 司馬 ( しば ) ( せん ) の『史記』とヘロトドスの『歴史』(ヒストリアイ)が上げられます。漢語の「史」にもギリシャ語の「ヒストリア(注@)」にも、それまでは歴史という意味は無かったのです。概念が無かったのですから当たり前なのですが。

どちらかを選ぶならば、より身近な史記が良いでしょう。史記を書いた司馬遷はキリストや釈迦よりも古く、BC145年頃生まれたとされています。親子二代に渡って中国の歴史を調べ、 ( いん ) 注A)や周(注B)から前漢(注C)の武帝までの時代を130巻にも及ぶ大作にまとめ上げました。これらのうち、 殷墟 ( いんきょ ) 1928年に正式に発掘され、史記の正確な記述に世界の人々が驚きました。また、今年(2004年7月)にはまだ正式発表ではないのですが、周の都も発見されたようです。長い間、まぼろしとか、伝説の王朝といわれていたものが2つも確かに存在していたわけです(注D)。

 史記は年代順に書かれた 編年体 ( へんねんたい ) ではなく、帝王や英雄の伝記を中心にした ( ) 伝体 ( でんたい ) 記述なので人物が生き生きと描写されています。それゆえ、文学としても高い評価を受け、以後、歴史書の模範となりました。

 史記の最大のテーマは「 天道 ( てんどう ) 是耶 ( ぜや ) 非耶 ( ひや ) 」=「天道是か非か」=「天の指し示す道は正しいのか間違っているのか」ということです。「歴史を動かす力は天が持っている」と考えた当時の人々は、正しい人が必ずしも報われないこともわかっていました。どうしてなのか、その疑問は司馬遷以来、未だに解けていません。このように「なぜ?どうして?いかに?」という疑問と好奇心、知的関心こそが歴史を学ぶ上で最も大切なものなのです。

 この文章自体にも疑問を持ってみましょう。本当に史記など読む必要があるのだろうか?今現在の自分のことから逆さまに 辿 ( たど ) っていったほうが面白いのではなかろうか?歴史書に書かれたものを素直に信じて良いのだろうか?人類は歴史から何も学んでいないのではなかろうか?(注E)等々、考えれば考えるほど疑問・疑念・疑惑が果てしなく湧き上がってきます。

このことに関して付け加えたいものにイギリスのエリザベス朝の軍人・探検家・植民者・歴史家であるサー=ウォーター=ローリー(15521618)の逸話があります。

映画などでは、エリザベス一世が ( ぎょう ) ( こう ) の途中 、ぬかるみに差しかかったとき、着ていたマントを、さっと女王の足元に敷いてローリーが登場します。探検家・植民者としては新大陸のアメリカに渡り、植民地化を推進し、イギリスにジャガイモと葉タバコをもたらした人物で、その植民地を独身の女王にちなみ、「ヴァージニア」と命名した事でも知られています。それゆえ、エリザベス1世に重用され、近衛隊長を務めました。ところが、女官との愛人関係のことを女王に嫉妬され、ロンドン塔に幽閉されてしまいます。その後即位したジェームズ1世国王にも反逆罪を問われ、都合13年間も幽閉されて亡くなりました。

歴史家でもある彼は囚われの身ながら、『世界史』を著しますが、その第2巻をしたためていたある日のこと。

窓の外を眺めていると、何人かが集まってきて、そのうちに派手な揉め事が起こってしまいました。歴史家としての彼の目は、その一部始終をしっかりと捉え、起承転結を整理し、頭の中に記録することができました。翌日、偶然にも、その当事者たちが現れたので、前日の騒ぎのことを確かめると、どうも話が食い違って事実と程遠いものになってしまいます。彼が疑問を呈しても相手は自分たちのことなのだからといって、あくまでも主張を譲りません。そのとき彼は、はたと気がつきました。

「何時間か前のことさえ、こんなことになってしまうのだから、何百年も前の歴史なんか信用できるはずがない」

決心した彼は、おもむろに書きかけの第2巻を暖炉で燃やしてしまいました。そういうわけで彼の『世界史』には第2巻がありません。尻切れトンボで終わっているのです。

――実は、この話そのものが後世の歴史家による作り話との「落ち」が付いていて「歴史の不確実性」を語るときによく使われる「ヒズストーリー」なのです。

歴史のどこを信じ、どこに疑問を持ち、どこを研究するのか、それは永遠の課題と言えるのかも知れませんね。

最後に史記の入門書を紹介しましょう。

人生を変える「史記」の読み方  水野実  中経出版  2003711日第1刷発行

 「史記」はいくら汲んでも水が尽きることのない大海のように、味わい尽くせぬ内容を ( たた ) えている古典です。(中略)本書は「史記」の大海から特に人間の行動と関係、人生に関するものを汲み上げて、その記録を残そうとした司馬遷の思いに迫ろうと意図したものです。(「終りに」より)

注@

ギリシア語の動詞? στορ?ω(1) 調査する、(2) 知識・情報を得る(3) 記述・説明することを意味する。名詞? στορ?αは、調査・知識・記述(物語を含む)をいう。ラテン語のhistoriaもほぼ同義。

注A 殷

BC17001027・中国では商、商業とはこの国の 生業 ( なりわい )

注B 周

BC1050256・信長が命名した岐阜はこの国の都があった ( ) ( ざん ) ( おか ) の意。

注C 前漢

BC206〜AC9・中国では西漢。

注D 

同様に、ヨーロッパではシュリーマンのトロイの発掘が有名(いろいろ問題はあった)。

注E

That men do not learn very much from the lessons of history is the most important of

all the lessons that history has to teach.          (Aldous Huxley.)  

人は歴史の教訓からあまり多くのことを学べないものであり、この事実こそ、歴史の教

える教訓のうちで、いちばん大切なものである。〔オルダス=ハックスリー(18941963)英国の作家〕

History is a cyclic poem written by Time upon the memories of man.

(Percy Bysshe Shelley)

 歴史とは、時間が人の記憶の上に繰り返し書く詩である。〔パーシー=ビッシュ=シェリー(17921822)英国に生まれ、25歳でイタリアに渡り、29歳で亡くなった詩人〕

God cannot alter the past but historians can.       (Samuel Butler)

 神でも過去を変えることはできないが、歴史家ならできる。〔サミュエル=バトラー(18351902)英国の作家〕日本の石器時代が捏造された事件は記憶に新しい。

(この文章は東洋英和女学院高等部に進学した歴史の大好きな ( ふみ ) さんに対して書いたものです。4歳からスキーを教えています)

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