あとがき

今年の 干支 ( えと ) は猪、私は年男、5度目なので還暦です。古くから、つい ( ひと ) 世代 ( ふた ) 世代前までは「人間50年…」と言われていました。維新や戦争に遭った人たちは、それさえも叶いませんでした。ちなみに敗戦時、昭和20年の平均寿命は、なんと男性24歳、女性37歳と記録されています。歴史的に見れば60歳は、やはり長寿と言って良いのかもしれません。50年に10年ものおまけが付いたのですから。

還暦とは甲乙丙の10進法と子丑寅の12進法との組み合わせが目一杯になり、 ( きのえ ) ( ) に戻ることです(イの一番や A1 ( エーワン ) に相当)。赤いチャンチャンコを着せられる意味は「赤ちゃんに生まれ変わって息子の子供分になったら?」ということなのでしょう。

幸か不幸か私には息子はいませんし、娘たちも私に赤いものを着せるつもりはないようです。音楽もスキーも仕事の依頼が無くなったときが定年なのですから、もう少し頑張ってみようと思っています。

母の干支も猪です。私は母が36歳のときの子ですから、母は96歳になります。介護度こそ「5」ですが会話も成り立ち、すこぶる健康で血液検査をすると家族中で最も若い数値が出てきます。薬は全く必要としません。かえって家族の方が成人病などの薬を飲んでいます。この分で行くと(人間×2)+Iも夢ではないかもしれません。

母の介護を続けていて思うこと、それは母を支えているつもりが逆に母から恵みを受けている、ということです。

いつ何があっても対処できるように、お酒は一滴も飲まなくなりました。着の身着のまま寝ることは着替えの時間の節約になるし、慣れてしまえば快適で私の性に合っています。

母より先には逝けないので単独でのスキーツアー・登山・川下りなどは慎むようになりました。不本意だった定期検診にも行っています。

夜中起きている間、ものを考えたり書いたりするようになりました。特に書くことについては母の介護なしには考えられません。介護日記から始めたものが、短歌・俳句をたしなむようになり、今ではエッセイも書くようになりました。みな母のお陰です。

個人情報には配慮したつもりですが、到らない点については社会的事実・歴史的事実としてご容赦願います。場所や施設名はそのままにしました。

2007年(平成19年)3月 還暦を迎えた日

市村安正

山河風狂

たらちねの

人は三度生まれ、三度死ぬ

魔界、そして非情な世界

私だけの秋の七草

「欠点が魅力なんですよ」

初級中国語の考察

宇宙と人間の法則

なぞとき地名人名考

音楽はサムシンググレート〜

ゾウさんとアリさん

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