魔界、そして非情な世界 2(恋愛について)

「魔界と言えば魔物の住む訳の解らない世界、非情な世界と言えば地位も名誉も金銭も経験さえも役に立たない容赦のない世界です。そんなものが身近なところにあるのでしょうか。

それがどこにでもあるのです。日常的であって、しかも誰にも、どうすることもできない暴力的とも言えるその世界、それこそが恋愛の世界です」

(自身の文章の「芸術」の部分を「恋愛」に置きかえてあります)

人生において最も不可解で、しかも誰にでも、すぐにでも降りかかってくる可能性のあるものこそ、恋愛問題でありましょう。当人にとってそれは、まるで突然雷に打たれたような、むりやり洪水に押し流されたような、まったく思いもよらぬものであるはずです。その意味では、むしろ芸術などよりも恋愛の方が大問題なのかもしれません。この大問題を感覚的に似ている芸術活動の方向から眺め、恋愛の大家ともいうべき芸術家たちの人生を参考にしてみることにしましょう。

芸術と恋愛は、その唯一無二の存在あるいは絶対価値において、同じ感覚を持った同じ世界の住人ですから相互関係による相乗作用が行われます。すなわち、恋愛感情が深まるほど芸術性も深まり、一方が純粋であれば、また他方も、より純粋さを増し、益々、至高を目指すことになります。

これらのことは脳内にドーパミンが放出されることよって成されますが、特に音楽と恋愛の相互作用においてはドーパミンの放出される場所が非常に発達するという説があるようです。

ベートーベンは、このことを実によく知っていて、実に上手く利用しました。研究者の間で「不滅の恋人への手紙」といわれるものが現存していますので少し引用してみましょう。

「私たちの心がいつも互いに緊密であれば、そんなことはどうでもいいのですが、胸がいっぱいです。あなたに話すことがありすぎて――ああ――ことばなど何の役にも立たないと思うときがあります――元気を出して――私の忠実な唯一の宝、私のすべてでいてください、あなたにとって私がそうであるように。そのほかのこと、私たちがどうあらねばならないか、またどうなるかは、神々が教えてくれるでしょう」

「私からの最初の消息を、あなたが土曜日でなければ受け取れないと思うと、泣きたくなります――あなたがどんなに私を愛していようと――でも私はそれ以上にあなたを愛している――私からけっして逃げないで――おやすみ――私も湯治客らしく寝に行かねばなりません――ああ神よ――こんなにも親密で!こんなにも遠い!私たちの愛こそは、天の殿堂そのものではないだろうか――そしてまた、天の砦のように堅固ではないだろうか」

「七月七日、おはよう――ベッドの中からすでにあなたへの思いがつのる、わが不滅の恋人よ、運命が私たちの願いをかなえてくれるのを待ちながら、心は喜びにみたされたり、また悲しみに沈んだりしています――完全にあなたといっしょか、あるいはまったくそうでないか、いずれかでしか私は生きられない。そうです、私は遠くへあちこちと、しばらく遍歴しようと決心しました。あなたの腕に身を投げ、あなたのもとで完全に故郷にいる思いを味わい、そしてあなたに寄り添われて私の魂を霊の王国へと送ることができるまで――そう、悲しいけれどそうしなければならないのです――あなたには、あなたに対する私の忠実さがお分かりだから、いっそう冷静になされるはずです。他の女性が私の心を占めることなどけっしてありません。けっして――けっして――おお神よ、これほど愛しているのに、なぜ離れていなければならないのでしょう。

永遠にあなたの

永遠に私の

永遠に私たちの

『ベートーヴェン〈不滅の恋人〉の謎を解く』青山やよひ(講談社現代新書18~23頁)

 以上3通の一部分ですが、いかがでしょうか。支離滅裂ですね。あの無駄な音を1つも使わず、すべてを計算づくで練り上げていく大作曲家が書いた文章とはとても思えません。このように恋とは、あの謹厳実直を絵にかいたようなベートーベンさえも丸裸にしてしまうものなのであります。

 ベートーベンのお相手は現代に至っても特定されておりません。研究者がいくら調べてもわからないのです。手紙は下書きを取っておいたという説もありますが、手元に残されたということは投函されなかったのでしょう。

 おそらくベートーベンにとって相手はどうでもよかったのだと思います。その辺ですれ違った人でも、実在しない人でも一向にかまいません。それよりも、思いのたけを綴ることによって、集中し、求心力を得て、自らの音楽性を高めていくことが大切だったのでしょう。たぶん自分を奮い立たせるために、架空の恋人を想像して書かれたものと思います。

やるなぁー!ミスターベートーベン!想像恋愛で一生独身を貫くとは、さすがロマン派の ( さきがけ ) だなぁー。想像妊娠でも実際にお腹がふくれるそうですから、想像恋愛も芸術性をふくらませるためには、すこぶる有効でありましょう。

もちろんこれは、小生の勝手な解釈であって、このような公式見解が出ているわけではありません。ちなみに、邪馬台国の場所とベートーベンの恋人は、歴史上の謎として東西の横綱である、という人もいるようです。

ブラームスはシューマンの弟子だったのですが、シューマン夫人のクララに恋をしてしまいました。そしてシューマンが亡くなってからはシューマンの作品を世に広めることと、クララのピアニストとしての名声や生活のため、身を粉にして尽くしました。クララを思い続けることが、ブラームスの音楽をどれほど高めることになったか、計りしれません。ブラームスは交響曲第1番がベートーベンの10番の身代わりとも言われるほどベートーベンを尊敬していましたから、音楽性を高めていく方法も見習ったのかもしれません。彼もまた生涯独身で過ごしました。

少し変わったものとしては「芸術は爆発だ」のことばで有名な岡本太郎の例があります。

フランスに留学中、「太郎こそ、わが永遠の夫」と言ったフランス女性がいました。パルチザンの闘士だった彼女は太郎を深く愛しながらも、よんどころない事情で祖国に身を捧げてしまいます。彼女の鉄壁の意志と芸術への熱情を忘れないために、太郎は一生独身で過ごす決心をしました。もっとも、戸籍上養女である敏子さんが事実上の妻だったらしいのですが。

この表向きの形は、おそらく母親を通じて自身に流れるアナーキーな血を嫌い、子孫を残さないための彼一流のダンディズムだったのでしょう。

このように「片思い」も上手に対処すれば決して不幸なことではないようです。同じような例は古今東西を問わず数多くあり、「無法松の一生」のように創作で取り上げられることも珍しくはありません。

片思いではなく、相思相愛の双方が芸術家であれば、恋愛と芸術の相互関連による相乗効果には、はたまた相乗作用が加わります。

ショパンとジョルジュサンドは音楽と文学に分かれて両者とも大成した良い例になるでしょう。もっともショパンはジョルジュサンドの今でいう「ひも」みたいなもので、生活や音楽会の手配などを彼女に依存していましたから、少しは打算が働いていたかもしれません。

日本でも与謝野晶子と鉄幹、高村光太郎と智恵子などが、相思相愛の例に挙げられるでしょう。与謝野晶子は元々、鉄幹とは不倫の関係だったのですが、前妻を押しのけて妻の座に居座ってしまいました。しかしその後は1ダースもの子供を産み育て、社会運動も含めて八面六臂の活躍をしながら夫に尽くします。歴史に残るスーパーウーマンといえましょう。

『智恵子抄』の智恵子は自らの芸術性に絶望して狂い死にをしたゆえ、その芸術は低く評価をされているようですが、ちぎり絵などの作品をよく観てみると決してそんなことはありません。むしろ戦争の国策宣伝に浮き身をつやした光太郎などより、純粋で一点の曇りもなく、こころの目で見ると眩しくて、目をあけていられないくらいのものです。もしも、智恵子がもっと長生きをしていたなら、愛と芸術の相乗作用によって、光太郎を凌駕する作品を残していたかもしれません。

では、いよいよ「魔界、そして非情な世界」そのもの、であるような例をあげてみましょう。

 1つ目はメキシコの女流画家フリーダ=カーロとロシアの革命家トロッキーとの関係です。フリーダは小児麻痺を患ったり、バスの事故で手すりが体を貫通する怪我にあったりしたのですが、そのことを逆に生かして内面性を外面的に表現する手法で成功しました。それらのことは、すでに名声を得ていた壁画家の夫ディエゴ=リベラの影響下のことであり、彼によって画家として大きく育てられた、といっても過言ではないようです。夫は大らかな心の持ち主でイサム=ノグチなどの多くの有名無名の芸術家を食客に迎え、援助を惜しみませんでした。

その中の1組にトロッキー夫妻がいたのです。トロッキーはレーニンとの権力闘争に敗れ、あとを継いだスターリンの追及から逃れるために夫のディエゴを頼って亡命してきました。それなのに、フリーダは浮気ばかりする夫へのしかえしとはいえ、トロッキーを挑発して不倫の関係を結んだのです。トロッキーは関係を清算するために保護されていた家を出たところをスターリンが手配した秘密警察に暗殺されてしまいました。

ほかにもフリーダはイサム=ノグチを始め何人かと関係をもったといわれています。しかしそれは、単なる浮気ではなく、特別な才能や気迫を持った男から、少しでも吸収したい何かが、あってのことなのでしょう。メキシコやラテンアメリカではフリーダのように自尊心が高く、前向きで情熱的な女性は憧れと尊敬の対象なのです。それゆえ、彼女の生涯は何度か映画化され、その度にヒットするようです。

2つ目の不可解この上なしの関係としては、前述した岡本太郎の母親である岡本かの子と父親の一平が挙げられるでしょう。

 一平は、かの子の恋人を都合3人も同居させ、その費用のすべてをまかない、いわれるがままに尽しました。その心境はどのようなものだったのか、計りしれません。

「バカか、気狂いか、底知れぬ愛情の持ち主か、神か仏か、いったいなんなのォー」といいたくなりますね。

 一平の愛の価値観について、はっきりと解釈のできる方はめったにいないでしょう。

 そうそう、歴史に残る「細君譲渡事件」を起こした谷崎潤一郎と佐藤春夫も忘れてはいけません。

 谷崎は石川千代子と結婚したのですが、彼が本当に愛していたのは、どうやら千代子の姉の方だったようです。そのうえ、行儀見習いのため預かっていた千代子の妹にも手を出し、その 顛末 ( てんまつ ) 『痴人の愛』という小説にしました。初めから愛されず、しかも妹までおかしな状態にされてしまった千代子は、谷崎との仲が日ごとに険悪になっていくなかで、谷崎の作家仲間の佐藤春夫と相思相愛になってしまいます。佐藤の『殉情詩集』や『秋刀魚の歌』は、このときの千代子に寄せる心情を歌ったものです。またこの件で、佐藤は『この三つのもの』を、谷崎は『神と人との間』をも書いています。

 そして、千代子は谷崎と離婚し、佐藤と再婚するのですが、このとき、「我等三人はこの度合議をもって、千代は潤一郎と離別致し、春夫と結婚致す事と相成り〜」との声明文を発表したことが「細君譲渡事件」のあらましです。

 その後、谷崎は古川丁未子と結婚して離婚。翌年、森田松子と結婚します。この松子を含めた美人姉妹をモデルにした小説が『 細雪 ( ささめゆき ) 』なのですね。

 それにしても谷崎の貪欲さというか、女性に対しての、ひたむきな心には、岡本一平とは、また違った意味で敬服してしまいます。

 この時代は、まだ姦通罪があり、北原白秋などは、その刑に服しました。自由な恋愛は男にとっても命がけだったのですが、女でもなお、平塚雷鳥は飛び立ち、柳原白蓮は花を咲かせました。この恐れを知らないエネルギーはどこから来ているのでしょうか。

 芸術の国フランスにはファム=ファタールという言葉があります。運命の女・芸術家にとって絶対的な女性・どうしようもない磁力のようなものを持ち、アーティストが恋焦がれる異性あるいは同性、とでもいうのでしょうか。この文のタイトル通り、非情のひと・魔性の人が多いようです。その非情さと魔性の彩が芸術家の創作力を燃え上がらせるエネルギーになるのかも知れません。

そして、恋愛そのものも、また非情であるゆえ、最初から運命や社会情勢によって拒否され、破滅への道を歩んでしまった例もあります。

ラストエンペラー(元満州国皇帝・ 溥儀 ( ふぎ ) )の姪、 ( あい ) 新覚 ( しんかく ) ( ) ( えい ) ( せい ) 大久保武道、この2人の学習院大学生同士の関係は上手に育てれば大輪の花になり、世紀の恋と謳われただろうに、ピストル自殺をし、天城山心中事件として世を騒がせてしまいました。残念でなりません。

日本は、文化的特徴として、恋愛至上主義の国といえるかもしれません。短歌では『万葉集』から『サラダ記念日』まで ( そう ) ( もん ) ( ) が続いているし、小説では『源氏物語』から『失楽園』まで恋愛物であふれています。映画も演劇も歌謡曲も恋愛に関係のないものを探すことの方が難しいでしょう。

しかし、中国では愛といえば友愛のことで、男女間の愛は漢詩にも漢文にも殆ど出てきません。また、お隣の韓国では ( しん ) ( ) というものが、もっとも重んじられ、恋とか愛は二の次三の次のようです。(最近のヨン様ブームはその反作用か)

イギリスでも恋愛物は多作のシェイクスピアにしてロミオとジュリエット、あとはブロンテ姉妹の作品くらいしか思いつきません。

 アメリカなどの移民による新興国は一見、恋愛を大切にしていたように思えますが、どうも男女比による方便であったような気がしてなりません。やはり恋愛至上主義の恋愛大国は神代の昔から現代にいたるまで日本でありましょう。

つらつら考えてみるに、恋愛だけでなく、親兄妹を含めて異性と関わらずには生きることのできない我われの人生そのもの、それが「魔界、そして非情な世界」なのかもしれませんね。

人生は苦しい、分からないことだらけだ。

一生つれそっても、理解しあえない夫婦もいるし、

一瞬で理解しあえても、すぐに別れてしまう夫婦もいる。

人々をつなぎ止めているものは、いったい何なのだろうか。

みな違う。それを探し当てようとして、みな懸命に生きている。

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