人は三度生まれ、三度死ぬ

「人は何のために生きるのか」という命題について、

考えたことのない人はいないであろう。

最初に考えたのは何歳であろうか。

最初に考えたのは誰なのか。

死の概念

猫は、己の死が近づいてくると、

近くの森に姿を隠すといわれる。

「長い間、生活をともにした猫が、

よろけながらも強い意志を持って

私を振りきり、表参道を横切って

神宮の森に消えて行った……」と

脚本家の 早坂 ( はやさか ) ( あきら ) は書いている。

しかし、動物学者に言わせると、

猫は死という概念が理解できず、

病気を敵からの攻撃と勘違いし、

身を守るために、隠れるらしい。

それは猫だけではなく象を始め、

知性と感性を持ち得ない動物の、

しごく、一般的な習性なそうだ。

死は、霊長類でも理解できない。

チンパンジーの、母親の多くが、

幼子の死骸をぼろぼろになるまで

持ち歩くことは良く知られている。

死は人間だけにしか理解できない。

ヒトから人間へ

2001年、アフリカのチャドで、

700万年前の人骨が発見された。

現地語で「命の希望」という意味の

「トゥーマイ」と名付けられた彼が、

チンパンジーから、枝わかれして、

初めて2足歩行をした人類である。

動物学上のヒトが生まれた瞬間だ。

その後、人類は長い年代を経ながら

20種類を数えるほど枝わかれした。

アウストラロピテクス(初期の猿人)

ホモハビリス(器用な人、猿人と原人の間)

ホモエレクトゥス(直立原人、ジャワ原人・

北京原人・藍田原人など旧石器文化を伴う)

ホモサピエンス(知恵のある人類の意味、

ネアンデルタール人・クロマニヨン人)

これらのうち、ネアンデルタール人は、

「死」というものを理解していたらしい。

人類学者たちは人骨と共に大量の花粉が

出土したことを献花葬送習慣と考えた。

4万年前まではネアンデルタール人と、

クロマニヨン人は共存共栄していたが、

ネアンデルタールは存続できなかった。

クロマニヨンだけが連綿と生き残った。

繁栄の秘密

ネアンデルタール人は体も大きく、狩も上手で、体力もあったのだが、

なぜクロマニヨン人との生存競争に敗れて絶滅してしまったのだろう。

石器製造技術はともに持っていた。しかしながら、生活に役立たない、

絵・音楽・アクセサリーなどの制作にネアンデルタール人は取り組まなかった。

つまり、ネアンデルタール人は、あまりにも仕事熱心過ぎて遊びを拒否してしまった。

仕事と遊びの違いは、目的があるかないかの違いである。目的を求めず、行動自体が、

目的のもの、強いて目的を言うなれば「精神的な充足を得ること」これが遊びである。

この余裕、この心の領域、が有るかどうかが、絶滅と発展の分かれ目だった。

ネアンデルタール人は死を理解することはできたが、遊びの心を持ち、

死を ( しょう ) ( ) すること、すなわち精神的価値を持つものに置き換えて、

充足することが、できなかった。それに対し、クロマニヨン人は

死を理解し、その上で自己の命を作品に封じ込め、

永遠に生きることを願うことができた。

この精神活動が4万年間で地球に人類を

溢れさせる原動力になった。

それにしても、

700万年前に

「ヒト」が生まれ、

「人間」になるのに

696万年もかかり、

「人間」が生まれてから

4万年しか経っていないとは

……嗚呼!……

縄文杉の樹齢は約7200年であるから……、       4万年は縄文杉5,5本分である。

生まれる順序

人の一生は当然、人類の歴史を 辿 ( たど ) る。

ヒトが生まれ、

人間が生まれ、

作品が生まれる。

人間が死に、

ヒトが死に、

作品が死ぬ。

作品=魂

言葉を、

言魂 ( ことだま ) と言う。

これに ( なら ) って、

音楽作品を 音魂 ( おとだま )

絵画作品を ( ) ( だま ) と呼ぼう。

江藤淳は「人間」が死に、

「ヒト」のみ生きることを拒んだ。

そのことによって、言魂の価値を高めた。

壇伊久磨や武満徹は音魂と共に言魂も生き続けるだろう。

ナチス宣伝映画製作のためのテレジン強制収容所からガス室に送られた

作曲家ハンス=クラーザやギデオン=クラインの音魂は生き返るに違いない。

窪島誠一郎氏経営の無言館は無名戦没画学生の絵魂で溢れている。

そう、 ( たましい ) には本来、名前など無いのだ。

3つ目の命

返らぬ人生の

一瞬を表現するには、

小さくて手間ひまのかからない

俳句や短歌、それに絵手紙などが良い。

300冊を自費出版すれば50年は社会に残る。

50年間、寿命が延びたのと同じことだ。

50年後、誰も読む人がいなくなれば、

3の命も尽きたことになる。

しかしながら、100年後に、

誰かが、読んでくれたら、

生き返ったことになる。

死なないで、

永遠に、

生きる

人も

いる

 。

「遊びをせんとや生まれむ ( たわむ ) れせんとや生まれけん」これ人の本質

遊びを持たず、死を昇華できない人類は絶滅してしまう

作品を理解することは作者を生き返らせること

人は永遠の命を残すために生きる

(上野英孝撮影)

山河風狂

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