男の美学とは
テレビ番組や雑誌記事などで「男の美学」と称するものをよく目にする。それらの内容は洒落た小物や高級な嗜好品を勧めるものばかりだ。だがしかし、心ある男は身の回りを飾ったり、食べ物の好き嫌いなどを言ったりはしない。そのような末梢的なものにこだわらない、もっと崇高なるものに美を感じるからだ。小物や嗜好品を吟味するのはオカマや女の美学ではなかったか。
そもそも、男の美学とは男の哲学の大部分を占める、あるいは哲学そのものと言ってもよいもので、物とは最もかけ離れたもの、つまり、生き方とか考え方を示す言葉なのではなかったか…。命をかけて男の美学を追及し続けている何人かを見てみよう。
丸山健二――芥川賞作家。 1966年、「夏の流れ」で受賞(23歳1ヵ月、当時最年少)。
文壇とは一線を画し、長野県安曇野で庭作りをしながら執筆。純文学に徹し、一作ごとに文体を変える。大作が多く、廃刊になりやすい。
本多勝一――元朝日新聞編集委員、現在「週間金曜日」編集長。
合衆国は合洲国、英語はアングル語、10、000円は1、0000円、サダム・フセインはサダ ム=フセイン、自分を俺、妻を
服部
テント・燃料・時計・電池を使った製品などの文明の利器を持たず、食料も岩魚や野草
などを現地調達して長期登山をする。精神と肉体の限界を追及。
森
釉薬をかけない。絵付けをしない。ただ、ひたすら焼き締めるだけ。大きさは人がすっ
ぽりと入ってしまう4
りを1 年間熟成させる。作品を登り窯に入れるのに40日、24時間監視の火入れを60日、
窯を
日野
モデルへの勧誘を頑として断り、フュージョンやポップスなどは見向きもせず、ジャズ
ひと筋の道を歩んでいる。
こうして並べると、「武士は食わねど高楊枝」式の痩せ我慢のように見えるが、彼らは決して我慢しているのではない。金銭とか、地位・名誉・権力などの一般的な価値を信じていないのだ。彼らが信じるものはただ1つ、己の審美眼だけである。
美学=美の本質や諸形態を、自然・芸術などの美的現象を対象として経験的あるいは形而上学的に研究する学問。現在では芸術学ないし芸術哲学が主であるが、もとは感性的認識を論ずる哲学の一分野であった。〔明治期には「審美学」ともいった〕 大辞林 第二版