内なる戦争は終末戦争への前ぶれか

74日のことだ。自宅前の荒川でスラローム用カヤックを漕ぎ、赤羽・川口間のJR鉄橋の下にさしかかると、橋桁の土台に腰まで水に浸かった人が呆然としている。左岸からは工事用のヘルメットをかぶった2人組が、こちらに身振り手振りで救助要請をしている。頭上にはひっきりなしに電車が走り、鳴り止まぬ雷鳴ようだ。水中にいる若い男に近づく。「どうして、そんなところにいるの?」

「上から落ちたんです、乗せて…」

弱々しい答えが返ってきた。

「ナニーィ!鉄橋から落ちたとは尋常ではないぞ」と思いつつも、

「このカヌーは一人しか乗れないんだ。無理にまたがって乗ってもデッキは丸くてツルツルだから、滑って落ちちゃうよ。ちょっと待ってね」と言い含める。

30bほど離れた左岸の2人組みの方に漕ぎ寄せて

「どうしました?」と尋ねる。

「釣り人から知らされて来てみると、この有り様で…、警察と消防には、もう連絡したんだが…」と恐縮気味な答が返ってきた。再び、若い男のところに戻り、

「消防が来て助けてくれるから」と伝えると、

「もう、2時間以上もここに居るけど、水位がだんだん上がってきて…」とのたまう。

上げ潮であることは当に分かっている。岸に戻って、そのことを言うと、

「モーターボートが何台か通ったが、どれも知らんふりで!」と憤慨している。

そのうちにパトカーが到着し、若手とベテラン風の警察官が現れる。この時点で決断した。「消防が機材運搬車に舟艇を積み込んで来て重機を使って川に浮かべるには(訓練を何回か見ている)、あと小1時間、かかるだろう。これだけの人数がそろえば不都合も起るまい、よし、やろう!」と。

ヘルメット姿の人に船着場に常備してある救助用浮輪を外して持ってきてもらう。カヤックのテールに巻きつけてあるロープをほどいて浮輪にくくりつける。(こんなこともあろうかと、10年以上も前から紐を巻き付けて置いた。それが初めて役にたつ。スラローム艇にそんなことをしている人は、まずいないだろう)若い男のもとに戻り、浮輪を体に通してから、その場に浮いてみるように指示する。大丈夫のようだ。岸に向かって漕ぐ。水中に抵抗物を与えられた艇は漕いでも漕いでも、進まない。もとより覚悟の上だ。チンした人の救助(カヤック訓練中の落水者は両足と片手で救助艇の後方に抱きつき、もう片方の手で乗っていた艇を確保する)で何遍も経験をしている。頑張れば、いつかはたどり着くだろう。呼吸が乱れ気味になったとき、当人の足が届く浅瀬に来ていた。だが、歩こうとしても歩けない。どうやら、足に怪我をしているようだ。無理もない、あんな高いところから落ちたのだから。ヘルメットの人たちに支えられて、やっと上陸した彼は10センチbもの振幅で震えている。長い時間、水に浸かっていて体温を奪われたことと恐怖感と安堵感がそうさせているのだろう。危ないところだった。あと1時間も経っていたら胸まで水に浸かって流されるか、体温が下がって気を失っていたかもしれない。救急車が来た。だが、すぐには乗せてもらえない。警察官の事情聴取が始まる。案の定、私も住所氏名を尋ねられた。

当日のメモには「0674(火) 16,00発見  2往復  16,17救助終了 坪井さん 野坂さん T・Y君」と書いてある。坪井さんと野坂さんは河川敷にある防災ポンプ場の職員であった。T・Y君の行動は自殺未遂と思われる。

実は、上記の事件の5日前に戸田橋下流で水死体の収容に遭遇している。その1ヶ月ほど前には散歩の途中、芝川荒川合流地点でうつ伏せになった人が浮き沈みしているのを見てしまった。この時は野次馬になって収容作業の一部始終を見物した。また昨年も自殺事件があった。鉄橋と平行して架かる新荒川大橋で身投げがあったのだ。目撃した人が、すぐに警察と消防に通報し、救助活動が始まったが、3日後に1キロbほど下流で水死体となって発見された。

暖かい時期だけとは限らない、凍えるような日の朝、河川敷入口に練炭半ダースと新品の七輪、それにご丁寧にもガムテープが打ち棄てられていた。車内一酸化炭素自殺の道具仕立てだ。途中で気が変わっていらなくなったのだろう。川っぷちは格好の自殺場所なのである。

さりながら、これほど立て続けに、このような状況に出会ったことがあっただろうか。そう、一時代前、やたらと交通事故を目撃したことを思い出した。王子駅前で大型バイクが転倒し、並走していたバスの下にもぐり込んだこと、大手町交差点で右折待ちの車と直進車が激突し、破片が飛んできたこと、雨の日に前から2台めで信号待ちをしていたとき、1台めの車に左折しきれなかった車が乗り上げたことなど、いずれも間一髪、目の前で起った事故だった。また私自身、転倒した自転車から投げ出された人を危うく轢きそうになったこともある。

この時代は交通事故の死者数が年間15千人以上もあって、「交通戦争」と言われていた。(日清戦争の日本人戦死者は1万3千人・ベトナム戦争の犠牲者とも比べられた)

さて現在、日本の年間自殺者数を考えてみると、2005年まで連続8年間、3万人を越えている。これはフセイン政権を倒すために、アメリカが仕掛けた戦争で死んだイラク人の数と同数ではないか。(英米系NGOイラク=ボディー=カウントの集計によると、20033月の開戦以来、イラクでは31000人の民間人が戦闘に巻き込まれて殺されている)と言うことは日本では毎年、イラク戦争1回分の自殺者がいることになる。これは数だけで見ると、とんでもない大戦争であろう。勿論、実際の戦争には必ず相手があり、武力によって殺されるのであるから、厳密な意味では自殺者を戦争犠牲者とは言えない。だが、自殺者には本当に「相手」はいなくて「武力」に相当するものはないのであろうか。どうも、そうではないような気がする。相手や武力はその人の内側に存在しているのではないか。自分自身の世界観と戦っているのではないか。世界によって作られた自分との内なる戦争とは言えないだろうか。

この戦争は、もしかして人類始まって以来、最大最悪のものであるかも知れない。何故なら、外に向かっての戦争には軍縮や和平交渉などのブレーキがあるが、内に向かっての戦争には全く歯止めがないからである。意味のない、訳のわからない殺傷事件が増えているのも内なる戦争の一環なのかも知れない。閉塞感からくるベクトルは方向が違っても内容は同じものだからだ。それが自傷か他傷かのどちらかになって表れるのだろう。両方向に同時に表れるものが自爆テロである。911事件などは壮大な巻き込み集団自殺行為ではないか。どうにもならない閉塞感に、最も過敏なアラブ人が巻き込み自殺を計り、最もナイーブな日本人が身投げをし、七輪と練炭などで集団自殺を起す。これらは、いずれも炭鉱のカナリヤ的役割をしているのかも知れない。誠の大事はこれからと言うことか。世の中の動きが着々とそちらの方向に向かっているような気がしてならない。破滅的な一斉集団自殺行為のボタンを押す人間が出てこなければ良いのだが……。

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