ピアノ&トーク

話題

やましき沈黙に陥らない
グローバルではなく グローカルに
アンチエイジングではなく ウィズエイジング
ロジック(論理)よりも エモーション(感情)
生きる力 =エロス(性愛)+タナトス(死の本能)
メメント モリ(Memento mori) ―― ラテン語で死を思え
死を覚悟せよ・警告・ 特に死の象徴としてのしゃれこうべ
人間の欠陥や あやまちを思い出させるものとして
ヨーロッパのルネサンス・バロック期の
絵画のモチーフに用いられた
など など

思春期を語る(動画)

自作自演 @(音楽)
Autumn in Liverpool

自作自演 A(音楽)
Salt moon

自作自演 B(音楽)
Rose fragrance

ピアノ&トーク

思春期を語る
(2010/10/30 鹿嶋市はまなす公園公民館)

 鉾田一高応援歌(演奏)――この曲は私が作曲したもので、鉾田一高の応援歌です。いまでも春夏の甲子園大会の予選などで歌ったり演奏されたりしているようです。
 作詞者は俳人の今瀬剛一ですが、もうすでに作詞作曲者不明になっているそうです。ということは作者など関係なしに、生徒や後輩たちの身体にしみ込んでいるということですから、曲にとっては理想的なことで、作った側としては嬉しいことだと思っています。

 四季の歌(ジャズ風に演奏)――中国では人生を4つに分けて四季にたとえています。中国語では熟語を作るとき、一文字では座りが悪いので二文字にします。人生の四季にはそれぞれ色をつけました。春には青をつけて青春(思春期)、夏には朱色をつけて朱夏(成人)、秋には白をつけて白秋(盛人)、冬には黒の雅語(みやびなことば)をつかって玄冬(熟年)の4つですね。ですから北原白秋の白秋とは人生の秋のことを言っているわけです。もちろん青春や白秋だけでなく、朱夏も玄冬も全く対等な人生の重要な時期であることには変わりがありません。
 しかしながら、青春期は特に、人生において最初の重要なときで、年をとってから、何かにつけて思い出したり、感慨にふけったりするので、特別な思いがあるのだと思います。特に青春の前半はいろいろと思い悩む時期なので、思春期というようになったのでしょう。

 夜桜お七(ジャズ風に演奏)――問いかけ――このとき、お七は何歳だったでしょうか?
 14歳で思う人に会いたくて放火し、15歳の桜の咲くころ、鈴が森で刑死しました。この事件は井原西鶴が「好色五人女」で取り上げたので、それを土台にした浄瑠璃や歌舞伎が上演されるようになります。その上、今でいう映画のような覗きカラクリが地方にまで進出しましたから、その台詞の「私しゃ本郷へ行くわいな」は子供でも知っている流行語になりました。平成の今でも新しい流行歌に歌われるくらいですから、その勢いは、凄いものだったと思われます。落語にもなっているので、簡単に紹介しましょう。
 本郷追分の八百屋太郎兵衛は自宅を普請するにあたって、旦那寺である駒込の吉祥寺に仮住いをしました。その娘のお七は、その寺の小姓の吉三郎といい仲になってしまいました。一ヶ月後、普請ができあがって一家は本郷へ戻りました。ところが吉三に会えなくなったお七は逢いたい一心で「この家が焼ければ、また吉祥寺に仮住いまいができ、また吉三に逢える」と思い詰め、ついに自宅に放火をしてしまいます。このことで、お七は3日間、江戸市中引き回しの上、鈴ヶ森で火焙りの刑になったのです。
 覗きカラクリというのは、覗いて見ると少し動きのある一人用の幻灯機のようなものですから、説明者が歌ったり台詞を言ったりします。たとえば、
  これこれ申し吉三さま 学問やめて聞かしゃんせ
  もはや普請も成就して あたしゃ本郷へ行くわいな
  たとえ本郷と駒込と 道はいかほど隔てても
  言い交わしたる睦言を 死んでも忘れてくだんすな
 この文句の中の「あたしゃ本郷へ行くわいな」は子供たちまで、声色を使ったそうです。
 さて、ここからが落語なんですが、お七の処刑後、吉三郎は「この世に生きていても張り合いがない」と吾妻橋から身を投げて死んでしまいました。
 あの世の地獄で再会した二人が「お七」「吉三さん」と抱き合った途端、「ジュウーッ」という音がしたのです。これは当然のこと。お七が火で死んで、吉三郎が水で死んだゆえ、火に水がかかればジュウーッと音がして当り前。
 ところが、そうじゃぁない、という人も居りました。その人が言うには
「女が、お七で、男が吉三郎だから、七に三を足すと、ジュウーッだよな」
 それはともかく、その後、お七の霊が浮かばれないで、毎晩のように処刑された鈴ヶ森へ幽霊になって出るようになってしまいました。ある晩、そこに通りかかった武士が「幽霊退治だ!」とばかりに、お七の幽霊の両腕を切り落としました。すると、お七は右足で侍に蹴りかかったので、侍は、その足も切り落としました。お七の幽霊は、これは敵わないと、一本足でぴょんぴょんと跳ねて逃げ出します。侍は思わず、声をかけます。
「これこれ、その方は一本足で、いずこへ参る」
 お七が答えます。
「片足や(私や)本郷へ行くわいな」
 「片足ゃ」と「私しゃ」を懸けたわけですね。皆さんご存じのように懸け言葉は少し苦しいぐらいの方が面白いのですね。今では、あまり笑えないですが、江戸時代には、この苦しい、やり取りが、なんとも面白かったのでしょう。
 ところで1966年昭和41年、今から44年前ですが、この1年だけ急に出生率が25%も下がりました。なぜだか分りますか。丙午(ひのえうま)だったからです。この原因はそもそも、お七にあります。お七が丙午の年の生まれであったことから、この年に生また女の子は「男を食い殺す」と言われ、疎まれるようなったのです。あと16年たった2026年の丙午どうなるのでしょうか。
 …というわけで、これらのことは、まぁ、江戸の雑学ということで、聞き流して下さい。

 ある晴れた日に・蝶々(演奏)――オペラ マダムバタフライの蝶々さんは何歳だったでしょう。15歳です。架空の物語ですが15歳でピンカートンのお嫁さんになったんですね。でも、架空とはいえ、おそらく、その時代には、よくあったことで、長崎のオランダ屋敷に住んでいた武器商人のグラバーと、その奥さんとか、そのあとのシーボルトとお滝さんとか、がモデルになっていると思います。グラバーの息子は倉場富三郎と言って龍馬伝にも出てきました。現代の何代目かの倉場さんは大学の先生をしています。
 シーボルトの奥さんのお滝さんは、本名は楠本滝といい、まだ16才だったといいます。シーボルトはアジサイの学名をお滝さんの名前を取って「おたくさ」と登録したのですが、彼よりも前に学名が付けられていたため、この Otaksa は採用されませんでした。ちなみに、学名は Hydrangea(ハイドランジア「水の容器」)と言います。 

 白虎隊は15歳と16歳で、赤穂四七士の大石力は16歳で切腹をして果てました。私の父親の世代の予科練も15歳からです。終戦時の15歳は昭和5年生まれの方々ですね。土浦の霞ヶ浦飛行場で特攻隊要員としての訓練が行われました。今年の夏、8月の終戦記念日前後には、これらの少年兵を扱ったテレビドラマが特に多かったような気がします。この方たちが、たくさん亡くなられたことが、その後の昭和7年生まれの方々が小さな団塊の世代になる原因になっています。昭和7年生まれの有名人は石原慎太郎・谷啓・仲代達也・伊藤四郎・五木寛之・三浦雄一郎・岸恵子さんなどがおりますが、やはり、その数は、他の年に比べて多いようです。
 ヨーロッパ戦線でも悲劇がありました。アンネの日記を書いたアンネフランクは13歳の誕生日から日記をつけ始め16歳で終わっています。

 ロミオとジュリエット(演奏)
 この曲は布施明の元の奥さんのオリビアハッセーが主演した映画のテーマで、作曲者はニーノロータです。
 シェイクスピアは正確にジュリエットの年齢を書いていますが、いくつだと思いますか。「あと2週間で14歳」と書かれています。
 ところがジュリエットは実在した人物なんですね。北イタリアの交通の要所にベローナという街があるのですが、交通の要所ゆえ昔から土地争いというか、場所争いが絶えなかったようです。その争いごとに巻き込まれた若い2人がロミオとジュリエットなわけですね。
 ベローナ市ではロミオとジュリエットを記念して、恋の悩みの相談を受け付けています。ジュリエット宛ての手紙を出せば市役所の係の方から懇切丁寧な返事が来ます。どなたか書いてみたらいかがですか。

 さて、皆さん、座りっぱなしで、エコノミークラス症候群になるといけませんね。このへんで歌でも歌ってリラックスしましょう。
 その前に、立ち上がって深呼吸をしましょうか。呼吸を司る神経は自律神経なんですが、唯一、自分でコントロールすることができます。

 赤とんぼ(合唱)
 (1) 夕焼け小焼けの 赤とんぼ 負(オ)われて 見たのは いつの日か
 (2) 山の畑の 桑の実を 小かごに摘んだは まぼろしか
 (3) 十五でねえやは 嫁に行き お里の 便りも 絶え果てた

 はい、ありがとうございました。この歌、赤トンボは昭和2年に作られました。ですから、昭和の初期の女性は15歳で結婚していたことになりますね。
 ちなみに、私が鉾田一高応援歌を作曲したのは16歳。高校生で今の妻に求婚し、二十歳で結婚。ヤマハのエレクトーン研究生になった時には子供がいました。

 ―― 井川さんから質問 ――

 というわけで、私のことはさておき、13,14,15,16の年代の人たちが恋愛をしたり、お七のような事件を起こしたり、あるいはまた、アンネのように文学作品を残したりすることは今も昔も全く変わりがないと思います。
 また、男子は15歳や16歳で、全く成人男性と同じに切腹をしたり、特攻隊として命を散らして逝ったことを思うと心が痛みます。
 こうしてみると冒頭の四季の歌を演奏した時のコメントと重なりますが、今でこそ、思春期は難しいとか、大変な時期だとかと言っていますが、歴史的には、まったく、人生のひとこまとして、ごく普通に扱われていたことに気が付きます。
 ですから、思春期の恋愛問題とか、生き方の問題とかは必然的に人生全体の共通の問題として捉えるべきとも思われます。つまり、恋愛論とか人生論では若いとか、年寄りとか、今とか、昔とかは、あまり関係がないのではないか、ということです。
 だからこそ、ロミオとジュリエットが焼きなおされて、ウエストサイドストーリーになったり、八百屋お七の物語が平成になって、夜桜お七として蘇ったりするのでしょう。

 午後からは、その根本問題の恋愛や人生について考えてみたいと思います。参加者の方々で、恋愛について、人生について、また、私の思春期はこうだった、あるいは子供のことで悩んでいる、などの発言のある方、居りましたら、よろしくお願いします。

 お昼・休憩

 ―― 二人のパネラーの発言 ――

 ―― 参加者の発言 ――

3つのトンネル(井川さん朗読BGM演奏)

人生には    3つのトンネルがあります。   
 1つ目は    「ヒト」が生まれるときの産道、
  2つ目は    「人」が生まれるときの思春期、
   3つ目は    死に至る臨終です。
   1つ目は    自分の意志が通じません。
   2つ目は    自分で考え、出口を探さなければなりません。
   3つ目は    どこに、どのようにあるのか、よく分りません。
    問題は、    2つ目からです。
     思春期、  このトンネルに差しかかると、
      辺りが  急に狭くなり、暗くなります。
       今まで     広くて明るかったのは
        動物と     同じ道だったからです。
        人間の     道にたどり着くには
        必ず     このトンネルを通過しなければなりません。
       進み、    迷い、
       考え、   立ちどまり、
       また、  進み、
        狭い 場所では
        苦しみ、もがき、
        広い  場所を求めて
        右往、  そして左往、
       諦めず    進む。
       手探りで    進む、
       足で探って    とにかく進む。
       道しるべは    ありません。
       トンネルは   ひとり一人
        みんな    違うからです。
         もう、   いやだ、
          もう、   ごめんだ……。
          その時、   やっと、光が見えてくる。
          もうすぐ    晴ればれとした空の下だ。
         次の問題は   3つ目のトンネルです。
        このトンネルは   どなたも経験したことがありません。
        だれもかれもが   見たことも聞いたこともありません。

和尚さんも、不安でいっぱいです。
神主さんも、どうしたらよいか分りません。
牧師さんも神父さんも、どうしようもないのです。
見えない、聞こえない、臭わない、さわれないので、
手探りも、足で探ることも、人に聞くことも、できません。
人の一生は、このどうしようもないトンネルを、通り抜ける方法を、
考え、探し、何故かを、求め続ける旅なのかもしれません。しかしながら、

ト   ン   ネ   ル

未だかつて、このトンネルの向こう側に、たどり着けなかった方は、一人もいません。

手で掴むものは離れて行くけれど心で掴むものは離れず
ありのまま己の姿受け入れて 背伸びごまかし無き道歩む
生きるとは眼差し向けて望むこと 何を見たかで人生決まる
真剣になるのはいいが 深刻になってはいけない 遊べ楽しめ
さぁ 行こうトンネル抜けて向う側 知らない世界の道を求めて

安正

 この詩は参加者に配布されたものです。また、リクエスト曲としてミスティー・ナイトアンドデイ・アメイジンググレイスなどを演奏しました。
 以下は時間不足で発表できなかったものですが参考のために記します。

 思春期で身につける一番大切な事は何か。それは何よりも、本を読む習慣を身につけることだと思います。
 なぜか……。それは想像力を養うためです。人類は言葉や文字を使い、ものごとを想像(イマジネーション)し、創造(クリエーション)することで発展してきました。そのためには読書が最適なのです。テレビや漫画では想像する前に映像が出て来てしまうので効率がよくありません。いや、効率が良すぎて想像力が育たない、と言うべきでしょう。

想像力は原動力

遠くにあるものを想像してみよう。
エベレストの頂上は今どうなっているだろう。
南極点は晴れだろうか、曇りだろうか、風はどうか。
小惑星イトカワにハヤブサが着陸した痕跡はいつまで残るか。
春になると我が家に寄ってくれるツバメは今どこにいるだろうか。

時間の違うものに想いを廻らせてみよう。
マンモスは何を食べて、どこで寝ていたのか。
恐竜よりも古いワニが生き残っているのだから、
恐竜もどこかに生き残っているのではないだろうか。
100年後に、スキーやスノーボードはできるのだろうか。
「昔、そんなスポーツがあったよなー」などと、ならないだろうか。
地球に人が住めなくなったとき、月に脱出する人選はどうするのか。
高い知能を持つ宇宙人と連絡が取れたとき、最初の言葉は何というのか。

科学と宗教哲学の境目は想像力の宝庫だ。
ビッグバンに神は係わっていたのだろうか。
宇宙の終わりは誰がいつ、決めるのだろうか。
ダークマターは我々の身体の中にも存在するのか。
ダークエネルギーは我々自身も持っているのだろうか。
iPS細胞ですべての臓器が作り直せるようになったら、
それを組み合わせた人間は永遠に生きられるのだろうか。
それは人間と呼べるのだろうか。などなど〜〜〜〜。
心魅かれることに出合ったら、想像力を働かせよう。
想像力こそ、すべての原動力、創造の泉、人間だけの営み。
心魅かれること、心魅かれる人、心魅かれるもの、に出合ったら、
それを大切にしよう。なぜならば、その機会は意外に少ないものだから。
そのことを継続しよう。なぜならば、その芽は意外に育ちにくいものだから。

 ……というわけで創造力を原動力にするための第一歩としては、面白くて、しかも悩みを解決してくれる本を示すのがよいでしょう。
 たとえば、理論社の「思春期に読む本シリーズ」の中の『男子のための恋愛検定』 伏見憲明・『男子のための人生のルール』 玉袋筋太郎などです。その他にも、この思春期シリーズは10何冊も出ています。理論社は灰谷健太郎を売り出した出版社で、教育関係の本には定評があります。
 そして、まもなく100歳になる日野原重明先生が書いた「10歳のきみへ――95歳の私から」や池田晶子さんの「14歳の君へ」も大変参考になります。
 次に身近な人の書いた本。旧北浦村、繁昌、出身の直木賞作家、出久根達郎氏の歴史物語やエッセーなどがよいでしょう。彼は中卒で東京築地の古本屋に就職しましたから、その頃のこと、つまり思春期のことや、子供のころのことも数多く書いています。
 たとえば、かどかし屋書店で立ち読みをしていたとき、かどかしや書店というのは私が勝手に、たぶんそうだろうと思うのですが。大人の客が、
「子供や学生たちが立ち読みをしていて、邪魔だから、追い出してくれ」
 と店主に言うと、
「あの子たちは将来の、この店にとって大切なお客様になるんですから、追い出すことなど、できません」
 と逆に大人の客の方を、たしなめました。これを聞いた出久根さんは、
「本屋さんは本を売るばかりではなく、未来を売る商売でもあるんだ」
 と思ったといいます。
 その出久根さんも書いていますが、この辺は伝統的に俳句や短歌が盛んなようで、出久根さんのお父さんも短歌を作って文芸雑誌に投稿していたそうです。
 無名の方でも、素晴らしい歌集を出しています。
「引きしぼり 弓を放ちて 的打ちし 音は激しき愛語に似たり」
 これは旧大洋村二重作の小室志つ江さんが出版した歌集の一首目です。青春真っ只中のように思えますが、実は100歳の方なんですね。ちなみに、私はこの作品に触発されて短歌をたしなむようになりました。
 また、この近くには大儀寺・根本寺などの俳句で有名なお寺があります。大儀寺はこの会場のある、はまなす公園から汲上に北上、西に入った北浦湖畔、鉾田市阿玉にあります。根本寺は鹿島神宮から1,5キロの所にあります。この二つのお寺とも江戸時代に仏頂和尚が住職をしていました。松尾芭蕉は仏頂さんが大好きだったので、月見とか、吟行とか理由をつけて、よく立ち寄ったようです。
 今瀬先生にも、これらの寺で一句詠んで欲しいですね。ちなみに袋田の滝の入り口には『しっかりと見ておけと滝氷けり』という先生の句碑が立っています。
 それから、高浜在住の鈴木健氏の「縄文語の発掘」には広域地名の「巴」は「当間」の変訛だとの見識が書かれています。当間(とうま)の語源はアイヌ語のto-oma-nai「ト・オマ・ナイ」で「沼に行く川」という意味だそうです。巴川は北浦に注いでいますから確かに沼に行く川ですよね。アイヌ語は縄文語の北海道方言と言われています。
 縄文語は「チャップイ、チャップイ、ドントがポッチイ」のコマーシャルで有名になりましたが、「ちぐだっぺー」とか「いっちくだっちく」とか「いなかっぺ・水戸っぽ」などダブルコンソナント(二重子音・促音)が多い所が、茨城弁とそっくりですね。
 次に自分の身近な歴史の本、例えば『武士の誕生 関幸彦』NHKブックスが面白いです。この本を読むと、畑田さん・新堀さん・井川さん。側高さんなどの、ご先祖が「武士の誕生」と深く係わっていることが解ります。平家物語などはデフォルメされていて歴史研究には使えないのだそうです。この本の中心になっている「烟田文書」は事実だけが詳しく書かれているので武士がなぜ、どのようにして現れてきたかが、解るのだそうです。このような本を読んで、出自(ルーツ)に興味を持てば自分自身は勿論、家族をも大切にしたいと思えることでしょう。

親の数は世界人口以上になる(井川さん朗読BGM演奏

「人は、みな平等であって、
出生で差別されることはない」
このことは今や万人承知です。
では、なぜそうなのでしょう。

1人の
人間には
2人の親がいます。
2人には4人の親がいます。
こうして10代先祖を遡ると1,024人、
20代だと1,048,576人の親が出現します。
30代だと、もう普通の電卓では桁数が足りません。
正確な計算ができませんが10億人以上になるはずです。
1代30年とすると900年前の世界人口よりも多くなってしまう。
どうしてでしょうか?数知れない重複があるからでしょう。
親戚同士が婚姻すると先祖は共通になり、重複します。
閉鎖社会ほど重複は、また重複するでしょう。
遡るほど当然、閉鎖社会になるはずです。
ビッグバンの反対ですね。
収縮を重ねて結局2人
になるはず
です。

火事に遭ってない旧家では
位牌がセットになっていて
何10代分も出てきます。
多くは15代くらい前に、
源氏系の婿養子が入って、
姓や家紋も変わっているが
それより以前にまたまた、
何10代も続いています。
そこで位牌は途切れても、
当たり前なのですが、命は
途切れることがありません。
位牌が在ろうが無かろうが、
この間の1人でも欠けたなら
あなたも、私も、この世に、
生を受けては、おりません。
この、実体を直視したなら、
昇華されたものが実感でき、
差別も戦争も、できるはずが
ないでは、ないですか。
ですから位牌を見せる
教育ができたら
と思います。

愛の数 何億万も交されし「だから私は今ここにいる」    安正

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