「欠点が魅力なんですよ」

(巴中ダルマ会)

10月、「ダルマ会」に参加した。会場になった袋田温泉「思い出浪漫館」の支配人は「高崎あたりの業者の方々かと思いましたら同窓会だったのですね」と言いつつ、歓迎をしてくれた。

そう、ダルマ会は「転んでもいい、でも必ず立ち上がろう」との思いから14歳と15歳の少年少女たちが考えた同窓会名なのだ。

45年ぶりで会う友もいる。

「誰だっぺー、わっがんねぇなぁー」

私はおもいきり派手な故郷なまりで言ってみた。

「やだなぁ、やっさん、おれだっぺよ。まこと、まごちゃんだよっ」

負けずに尻上がりのイントネーションで答えてくれたのは入江くんであった。すっかり、ヘビメタおじさんになっている(音楽用語に掛けてヘビーメタボリックシンドローム)。聞けば父親からもらった5千円を手に上京、事業を起し、億単位の仕事をしていたという。仲良しだった小野瀬くんは地元生協を定年退職後、老人デイサービスセンターで介護職についている。優秀だった新堀くんは銀行の経営陣として、まだ現役である。25年前に東京ダルマ会で会った会社社長の鬼沢くん・松島くん、地元に残った井川くん・郡司くん・小泉くん・田口くん、皆それぞれ元気そうだ。45年ぶりの良くんは電気技術の指導で中国を始め、いろいろな国に行っているという。

(もと)女の子たちは総じて変わっていない。殆どがすぐにわかった。町一番の焼肉店をやっている弘子ちゃん、娘をドイツに留学させて帰国演奏会を成功させた光子ちゃん、「すばらしいピアニストになったわよ」と東京オペラシティーのコンサートの様子を伝えてくれた春美ちゃん、保健活動の指導的立場にある三千子ちゃん、地元にお嫁入りした絹枝ちゃん・直子ちゃん・礼子ちゃん、それに ( だい ) ( ) 町の ( たい ) ( ) に嫁ぎ、今回の宿を手配してくれた澄子ちゃん、それぞれが若々しく、溌剌としている。

先生方は大島先生と小林先生が参加してくれた。お二人は昨年も来てくださったという。ダルマ会員は還暦間近になってから頻繁に集まっているらしい。幹事役の後藤くんは今まで都合がつかなくて来られなかった私を、先生方と共に上座に座らせてくれた。皆はもう何遍も会っているからと言って。

後藤くんのあいさつが始まる。

「今回は電話で連絡したんだが、農作業で顔が真っ黒になっちゃったから恥ずかしくて行けねぇ―とか、ハゲちゃってだめだぁ―とか、シラガになっちゃってぇ―とか、30分も話して最後に、出られねぇよ、なんて言う人が多かったなぁ―。けっきょく130人中21人の参加で…、もう20人も亡くなっちゃって……」

最初、笑いながら聞いていた皆は数字を聞いて、それぞれの感慨を噛みしめているようだった。私は「来られない人の中には口に出せない都合があって、それを禿とか、白髪のせいにしている人もいるんだろうなぁ」と思った。

それだのに大場くんは、車椅子を使ってまで、よくぞ、来てくれたものだ。

大場くんは20年前に蜘蛛膜下出血になったという。後遺症で足が重なったままになってしまったが、泣くほど過酷なリハビリテーションを克服し、つかまり立ちができるまで回復したとのことだ。そのほかに、家族の不幸も重なったらしい。

そう、いやおうなしに家族の不幸を背負わねばならない年齢になってしまった。その上、自分自身の始末も心配をしなければならない。皆ニコニコしているが、それらを乗り越えて、集まってくれたのだろう。

光子ちゃんはご主人を亡くしたばかりで時々涙ぐんでいる。気晴らしになるからと言って春美ちゃんが誘ってくれたのだ。大島先生も手術をしたばかりで、今後が気がかりらしい。かくいう私も母の四十九日法要直前である。自宅介護の3年間は日帰り旅行もためらいがちであった。それにこれからは6歳上で知的障害を持つ姉の介護が待っている。束の間の自由時間というところか。

諸々の事情を秘め、もろもろの人生を歩んできた同窓生たちが、今また共有している一期一会は瞬く間に過ぎて行く。

後藤くんが、「24の瞳みたいだったなぁ」と言った。「そう―ォ?」と言いながら、照れ臭くて笑ってしまった私に、大島先生は「いや、本当にその通りだったですよ」とおっしゃってくれた。

会食が終り、42の(もと)つぶらな瞳たちはカラオケ会場に移動した。カラオケは他のお客たちと共用だが、皆それぞれ得意な歌を歌っている。殆どが演歌か歌謡曲を歌う中、大島先生はシャンソンの枯葉を原語で歌ってから、次のようなことをおっしゃった。

「シャンソンは布施明も巧いですね。歌謡曲はもちろん、カンツォーネでもポップスでも、何を歌っても彼は上手です。音程はいいし、声は出る。その上美男子で、いうことなし。 ( ) いて言えば、欠点がないのが欠点かなぁ。逆に森進一は、しわがれ声を苦しそうに出すところがいいですねぇ。そのほうがインパクトがあります。欠点が魅力なんですよ。絵も同じことです。あんまり巧すぎると返って魅力が感じられなくなってしまう。巧く描ける人が、わざと下手に描いて成功するピカソのような例もありますが、目の悪い人や知的障害の方などが一生懸命描いたもののほうが、やっぱり、うそがなくていいです。ことばのうそも、そうですが絵のうそはすぐ、ばれてしまいますよ」

そして遠くを見つめるようなまなざしで、

「今日、集まった皆さんの人生にはこれっぽっちのうそもない。子供のときに欠点だったものが、えもいわれぬ魅力になっています。むしろ、欠点をさらけ出して勝負している。いいなぁー。武器にしちゃえば楽なんですよ、欠点は…。すばらしい……」

話を聞いているうちに思い出した。私は図工が大の苦手で通信簿はいつも3であった。大島先生に教えていただいたとき、思い切ってデフォルメをして描いてみたら5をいただいた。そのあと、違う先生になったら、また3に戻ってしまった。そんな私が今、仕事のひとつとしてガラス工芸をやっている。

「そうかぁー、大島先生はオレのことを言ってるんだぁ」

鈍感な私はしばらくしてから気がついた。

確かに「開き直り人生」の友が多いような気がする。茨城県人特有の持ち味なのかもしれないけれど。

翌日は、ほぼ全員が1台のバスに乗り、秋の奥久慈を散策した。袋田の滝で今瀬剛一先生の「しっかりと見ておけと滝凍りけり」の句碑を鑑賞し、和紙人形展示館では大文字草に足を止め、小学校を保存したお焼教室では懐かしい足踏みオルガンで校歌「長堤十里」を弾き、月待ちの滝では名物の手打ち蕎麦を食べるなど。

私はホテルまで車を運転して行ったので途中下車をする都合上、最前席の小林先生の横に座らせていただいた。小林先生は私共よりかなり下の年代まで、生徒ひとり一人の名前は勿論、家族構成や住まいの細やかなディテールまで、はっきりと覚えていてくれた。

「うれしい、うれしいなぁ」とあいづちを打っていた私は、思わず、「私が忘れちゃったことまで覚えていていただいて、ありがとうございます」と言ってしまった。本当に、心から、嬉しかったのである。

奥久慈を一巡りしたバスはホテル「思い出浪漫館」に戻った。

「皆さん、また来年、お会いしましよう。先生方もお元気で。大島先生、お体をしっかり治してくださいね」

思い出と浪漫と温泉にたっぷりと ( ) かった私は、バスを降りた。

2日間をふり返って、もっとも印象に残ったことは、72歳の大島先生が61歳の大場くんの車椅子を押していた姿である。

冒頭、楽しく温か味のある挨拶で迎えてくれたホテル支配人氏も、大島先生の教え子であった。なんという偶然!

そう言えば布施明の歌に「めぐり逢い紡いで」というのがあったなぁ。

小さくも大文字草 ( だい ) ( ) ( ざい )         安正

大文字草の花言葉は「自由」

山河風狂

たらちねの

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