冬の法則

冬の間、私は殆ど自宅に居りません。音楽演奏の仕事を兼ね、山とスキーに明け暮れて、山麓のホテルやペンションで過ごしてきました。なぜなんだろう、なぜ寒い冬に寒い場所に居ると、安らぎをおぼえ、癒されるのだろう、と長い間、不思議に思ってきました。

その疑問が、NANCY Wood MANY WINTERSを読んだことによって、やっと解決したのです。ネイティブアメリカンの人たちの言葉によって、私の体の中には古モンゴロイドの血が流れているんだ、ということに気づかされました。

それからというものは‘Many wintershave lived,(たくさんの冬を私は生きてきた)というフレーズが、私の頭から離れなくなってしまったのです。

長編叙事詩とも、抒情詩を集めたものとも思える、その本の内容にふれてみましょう。

「この世の始まりから、たくさんの冬を私は生きてきた。月と太陽が美しい full circleを作り出した地球の始まり以来、私は〜〜」――この‘full circle,の概念をどう捉えるかで、この詩集の重さと深さが違ってくるのではないでしょうか。私の解釈では、1日、1ヶ月、1年などのくり返しの ( ) 、太陽系や銀河を含む宇宙の周回、原子の回りを電子が回転しているという物質存在の原理、これらの全てを表わしているものと思います。そして、これらは原理的には初めも終りも無く、どこが初めで、どこが終りなのか解りません。にもかかわらず、「冬」が全ての基点だと考えると、実に整然と理解できるような気がしてくるのです。

「星たちとも遊び、木々と共に寝、獣たちや鳥たちとも共存し、孤独な月を友として、たくさんの冬を生きてきた。そして、融けてゆく雪の中から、ひ弱な花が現れて、『私は春の精です』という」――これは、勿論‘full circle,の一つの形でしょう。

「木や小道などはどんどん枝分かれして、辿れば辿るほど、いろいろな結末があることが、親父の顔の皺に似ている。が、実はそれぞれが目的を持っていて、根っ子の方へ帰ろうとしているんだ」――これは往復運動ですが、‘full circle,のアレンジと考えられます。

「枯葉は病んだ土を肥やすんだ。冬は新しい葉を生み出すために必要なんだ。葉っぱは命の力に溢れているから、緑なんだ。葉っぱたちがみんな死んでいけるように、夏が終わらなければいけないんだ」――これはネイティブジャパニーズ(アイヌやマタギなど)が言っている「落ち葉は掃除しちゃダメ、そのままにして置けば、肥料になって、また、良い葉っぱになるから」――と同じことでしょう。

そして‘Old Man Winter,「冬じいさん」の話になります。「冬じいさん」は「風の又三郎」にそっくりです。雲に乗って北の方から吹き込んできて、木から葉っぱを剥ぎとり、雪で山々を包み込み、草も木も獣も土地も人間も、みんな自分に引き寄せて、ぐうぐう眠ってしまうのです。

そうなんです。冬はグウグウ眠って、力を蓄え、再生、甦りのための休養の季節なのです。決して死の季節ではありません、眠っているだけなのです。いわゆる、冬眠なのですね。

私は今まで、冬の間、自然の中で精神的に冬眠をしていたのでした。

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