コラム ほととぎす(鳴き声あれこれ)
ほととぎすの句と言えば、まず山口素堂作「目には青葉山ほととぎす初鰹」、つぎに作
者不詳ながら過激な信長、積極性の秀吉、忍耐と慎重の家康を対比して洒落た「鳴かざれば殺してしまえほととぎす、鳴かざれば鳴かせてみようほととぎす、鳴かざれば鳴くまで待とうほととぎす」の三部作など、誰でも知っているものがあります。和歌では道元の「春は花夏ほととぎす秋は月 冬雪さえて涼しかりけり」、唱歌でも「卯の花の匂う垣根にほととぎす早も来鳴きて」の「夏は来ぬ」などを耳にします。そして、万葉集には全部で153首、古今集巻三夏歌に至っては34首の内28首も「ほととぎす」を読んでおります。このように古代から現代まで、夏の詩的表現には「ほととぎす」を欠かすことができません。
この「ほととぎす」という名称は鳴き声から出たもののようです。ほととぎすの鳴き声といえば「テッペンカケタカ」( 天辺 翔 けたか=一番高い所を飛んだか)とか「トッキョキョカキョク」(特許許可局)と聞こえるようなのですが、広辞苑にはもう一つ「ホッチョンカケタカ」という聞きなし(注@)が出ています。「ホッチョン」は地方によって、本尊(全国的・仏画の意)、包丁(岩手・柳田国男「遠野物語」53)、御飯(奈良および長野・中西悟堂「定本野鳥記」1964年春秋社刊の第5巻「人と鳥」15頁)のことと言われております。この「ホッチョン」が「ホットン」(山城久世郡 高 野 ・川口孫治郎「杜鵑研究」東京宝文館1916年発行81頁)、「ホットング」、「ホットンギ」などを経過して「ホトトギ」になったのではないでしょうか。(スは鳥を表わす接尾語)
聞きなしは地方の言葉や文化や個人の感覚に密接に関係しています。ちなみに私には「ホットオットギ」と聞えるのですが。
漢字の「不如帰」も鳴き声から出たようです。その伝説を述べてみましょう。三国志の 蜀 よりも千年も古い古代「蜀」( 三星堆 遺跡に関係)の国王、「 杜宇 」が家臣の妻を心から好きになってしまいました。意を決して王の位を家臣に譲り、代わりに家臣の妻をもらい受け、他国で暮らしたのですが、どうしても故郷の蜀が忘れられません。「 不如 帰去 」(帰りゆくに 如 かず=帰ることができない=帰りたい)と血を吐くように言い続けて亡くなりました。あまりにも思いが強かったのでその魂は鳥になり、真っ赤な口をあけながら、今でも「 不如 帰去 」と鳴き続けている、というわけです。従って、不如帰・杜宇・蜀魂・蜀鳥と書いて、いずれも「ほととぎす」と読むようになりました。
正岡子規の「子規」も「ほととぎす」と読みます。彼は結核患者で喀血をしていたので上記の「鳴いて血を吐く 子規鳥 」の故事から自分の雅号を子規に、主宰雑誌名を『ホトトギス』にしました。子規鳥は中国語では 子規 鳥 と読み、都から遠い地方の鳴き声から出たものではないかと言われています。
最後に私の語源解釈によるものを一句、示しましょう。
淋し雲 一人よがりの 陰伽 ス 安正
注@ 聞きなし
鳥などの鳴き声を意味のある言葉に置き換えて楽しむこと。
例 ホウジロ 「一筆啓上つかまつり 候 」
ツバメ 「土食うて虫食うて渋〜い」
メジロ 「長兵衛 忠兵衛 長忠兵衛」
コジュケイ「ちょっと来い ちょっと来い」
ホトトギス