「辛い夏」を乗り越えて

遠藤周作の一文に「辛い夏」というものがあります(人生のエッセイ2 遠藤周作 無駄なものはなかった 日本図書センター)。その内容を少し紹介してみましょう。

「(前略)私は必要あってインパール作戦の文献を集めたが、その凄惨きわまる戦況と日本兵の地獄のような体験が牟田口という総司令官の無謀な名誉欲から出ていることを知るにつけ、やりきれない気持ちをどこにぶつけてよいか、わからなかった。

知人の父上がこのインパール作戦で生きのびて、日本に復員したあと、まるで人が変わったように何事にも逆上し、怒り、家人にも辛くあたったという話を当の知人から聞いたことがある。

私にはその父上の烈しい感情や怒りの一端がわずかながらわかる。ジャングルのなかを戦友たちが飢えと病気で次々と死んでいき、その泣き声や哀願の叫び声を耳にしながら生きながらえた者は日本に戻り、民主主義や平和をわがもの顔に語る人たちに理屈ではわり切れぬ怒りを感じたにちがいない。(中略)辛い、嫌な夏がまたやってくる。」

この文章を読んで私はドキッとしました。これはまるで私の父のことではないか、「知人の父上」は私の父とそっくりではないか。

私の父はボルネオ島の作戦に一兵卒として従軍しました。所属した部隊3000人の中で生き残ったのは36人だけだったといいます。父は私が11歳のときに急死をしてしまい、くわしいことは聞けなかったのですが、忘れようにも忘れられないことがあります。

「カエルやヘビやトカゲを食べて生き延びたんだ」

と父が言うと、ニューギニア戦線から生還し、マラリアの後遺症で苦しんでいるススキ山のヤスさんが

「動けなくなった戦友の額に手を当てて様子をみたら、まだ早いだろう…って言われたよ。まだ、死んでないんだから食べるには早すぎるだろうという意味なんだ」

と言います。私は吐きそうになるのをこらえながら聞き入っていました。

復員した父はまるで別人のようになり、あらゆることに逆上し、怒りまくり、母に、姉に、私に、そして妹にも暴力をふるいました。そのため母は身体障害者のような状態になってしまいました。母は知的障害を持つ姉を守ろうと思い、自分の身を投げ出したのです。姉は私や妹のように父の暴力から逃れようとはせず、されるがままでした。

8月になり、終戦記念日が近づくと父の機嫌は一層悪くなります。そのために夏休み中にもかかわらず、私はなるべく家に帰らず外で遊びました。家の近くまで戻って様子をうかがい、父の機嫌が悪いと、もっと遠くまで出かけたものです。

父が村の有力者の家に押しかけ、駐在さんに連れられて帰ってくるのも夏の日のできごとでした。世間の甘い汁を吸っている人を見過ごせず、酔っ払って罵声を浴びせに行くのです。

辛い夏でした。嫌な夏でした。しかし、一番辛くて嫌だったのは、父だったのかもしれません。理不尽さを、怒りを、激情をどこにぶっつけていいのか解らなかったのでしょう。

父がもう少し長生きをしていたなら、成長した私は父の戦争体験を、もう少し詳しく聞くことができたかもしれません。誠実に対処すれば父の心を癒すことができたかもしれません。

いや、よく考えてみると、やはり話してくれなかったかもしれませんね。私でさえ辛くて嫌な夏のことを話したくはないのですから。

昨年、妻の父が88歳で亡くなりました。衛生兵として従軍した妻の父にも尋ねたいことが山ほどありました。そのうちに、と思っていたら胆管の手術後2週間で、あっけなく逝ってしまいました。家族にも従軍中のことは話さなかったそうです。

よく考えてみれば当然のことでありましょう。間接的な戦争被害者である私でさえ、その痛みが甦り、母や姉の泣き叫ぶ様が脳裏に浮び、話すことが嫌なのですから。

凄惨きわまる生き地獄を直接体験した私の父・妻の父・「知人の父上」・そのほかの数知れぬ父たちは、話すとなればそのつど感情が高ぶり、激しく憤り、悲嘆にくれ、涙し、また怒り、再び哀しみながら体力を消耗し、みじめで情けない気持ちに陥ってしまうでしょう。第一この平和ボケをしたお笑い全盛の世の中に、こんな辛気臭い話を聞きたい人など、いるはずがありません。ではこのまま、そっとして置いて良いのでしょうか。

団塊の世代のトップに属する私は、すでに父・義父ともに亡くしてしまいました。しかし現在定年を迎えつつある団塊の方々で、父上が健在の方も数多く居られると思うのです。その方たちは少しずつ、ほんの少しずつでよいですから父親の話に耳を傾け、戦場での経験や体験を記録にとるようにしたらいかがでしょうか。記録さえしておけば、それは歴史になります。歴史の「史」とは記録のことなのですから。

現代史は下からの積み上げによって成立っています。沖縄で軍の命令によって民衆が自決させられたことを誰かが隠そうとしても、双方の当事者が認め合って記録に残している限り、そんなことはできるはずがありません。

いまやアジア太平洋戦争の直接体験者が体力的限界に達していることは明らかです。そのため、これからは近親者などによっての間接記録が重要な役割を果たすことになるでしょう。かえって聞き書きのような二次記録の方が、冷静さを保って真実に迫ることができるかもしれません。

定年退職をした方々よ! 趣味やボランティア活動も良いでしょうが、今しかできない大切なことは何かということを考えてみてください。あなたは歴史を創ることができるのです。もっとも身近なことで……。

生まれ来てただ朽ち果てるのみでなく子孫に残せ夏の真実   安正

参考

『戦争を起させないための20の法則』

鎌田慧監修 ピースボート編 ポプラ社 \1300

料理研究家の小林カツ代さんは「私はもともとノンポリだったのですが、父親の戦争体験談を繰り返し聞いているうちに、戦争反対・武力攻撃反対を口にしないではいられなくなりました」と書いています。

ドキュメンタリー映画『ゆきゆきて、神軍』

今村昌平企画、原一男監督

ニューギニア帰還兵が重い口をやっと開き、「白ブタ(白人)・黒ブタ(現地人)・代用ブタ」などと言い始めます。日本兵も能力がなく有用でなければ理由をつけて銃殺され代用ブタにされたと…。

『戦争絶滅へ、人間復活へ』

――九三歳・ジャーナリストの発言 むのたけじ 聞き手黒岩比佐子

岩波新書(新赤版)1140 

(抜粋)

体験者が語らない「本当の戦争」

 少なくとも、戦争のことを一番知っているのは、実際に戦場で戦った人たちです。ところが、戦場へ行けばわかりますが、行ってしまえばもう「狂い」ですよ。相手を先に殺さなければこっちが殺される、という恐怖感。これが、朝昼晩とずっと消えることがない。3日ぐらい続くと、誰でも神経がくたくたになって、それから先は「どうにでもなれ」という思考停止の状態になってしまうんです。したがって、戦場から反戦運動というものは絶対に出てきません。

 本当にいやなことだけれども、戦場にいる男にとっては、セックスだけが「生きている」という実感になる。しかも、ものを奪う、火をつける、盗む、だます、強姦する……ということが、戦場における特権として、これまでずっと黙認されてきました。(中略)

 あえて言いますが、ほとんどの男は、とても自分の家族、自分の女房や子供たちに話せないようなことを、戦場でやっているんですよ。中国戦線では兵士に女性を強姦することも許し、南京では虐殺もした。そのにがい経験に懲りて、日本軍は太平洋戦争がはじまると、そういうことはやるな、と逆に戒めた。軍紀の粛清を強調したんです。

慰安所の女性たち

 そこで出てきたのが「慰安婦」というものです。その主体は朝鮮から来た女性たちでした。日本の女性も来ましたが、これは将校専用です。(中略)

 たとえば、ジャカルタの場合だったら、新しい市場だとか、パッサルバルーといわれるにぎやかな場所、インドネシアの民衆が大勢集まるようなところに慰安所を設けていたんです。入口のあたりを、申し訳程度に隠してはいたけれども、ほとんど丸見えであった。本当によくもまあ、恥をさらしたものだ。(中略)

 しかし、何人もの女性たちを船に乗せてインドネシアまで連れてくるためには、軍の了解が絶対に必要です。それなしには、誰も戦地へは来られませんからね。やはり、慰安婦は軍部が1つの作戦としてやったことで、まったく軍の責任だった。そして、慰安婦1人ひとりの事情はさまざまだけれど、やはり、だまされて連れてこられたケースが多い。

 慰安所ではどういう光景が見られたか……。日本の兵隊がやってきて、まず女に金を渡すんです。そして、もう順番ですよ。何十人もが長い行列を作って順番を待っている。女の前に行ってからズボンを脱ぐ時間がないので、順番を待ちながらマラをビンビン立てて、それを手で握って「早くやれ!まだか!」と叫んでいる。本当にあわれなものだ。

 それを、地元のインドネシアの人たちに、全部見られているわけですよ。

 ――そうしたことは、とても自分の体験として、家族などには語れないでしょうね。

 どうして娘や妻に言えますか?慰安婦の話など、絶対にできるわけないでしょう。心の中に言えないものを持っているから、それ以外のことも、戦場でこんなことがあった、と言えないんですよ。それに、慰安所に行くことは、軍隊が公認していたわけで、誰もが堂々とやれたんですからね。当時、ほとんどの兵隊が経験していますよ。しかし、そのために、何も言えないということです。

 慰安所ではそんなふうに、兵士が何十人もズボンをずり下げて順番待ちをしている。女の側は、膣の中が何人もの液体でごちゃごちゃになるので、三人終わると便所に行って、ウーンと力んで射精されたものを出してまたすぐにもどってくる。そうした事実があったということは、ここではっきり言っておきます。

『地獄の日本兵』

ニューギニア戦線の真相

飯田進

新潮新書273                            

山河風狂

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